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2006年1月 4日 (水)

 これから書く文章の長さとその内容のおぞましさを思うとたじろいでしまう。それでもいまここで書き留めておきたいと思う,その理由がふたつある。
 ひとつには,これから書く文章は本当はすでに書かれてしまっているものだからだ。ごくまれにしか起きないことなのだが,長い文章が頭の中に浮かび,どうしても離れなくなってしまうことがある。それはもうほとんど完成しており,その文章全体を絵を眺めるようにして見渡すことが出来る。目を閉じてA4の紙を思い浮かべれば,横書きの行頭を縦に読めるような気がするほどだ。
 熱に浮かされているような,我ながら不思議な感覚なのだが,それでなにか得することがあるわけではないし,むしろ不都合のほうが多い。ふと目を閉じるとその文章の一節が頭に浮かび,一旦そうなってしまうと,もうその続きを最後まで読むしかなくなってしまう。その文章は一字一句変わらない(ように思われる)のだが,そこから喚起されるイメージはますます子細なものになっていく。日が経てばいずれは薄れていくのだろうが,それを待つのが厭わしい。むしろ,いまここで全て書き出してしまい,陽に当てて,かすれさせてしまいたい。
 二番目の理由はこうだ。これから書く三つの話は,ここ数日の間に見た夢についての話である。それは大変に生々しい悪夢で,目覚めたときには涙の跡が残っていたり,胃液で喉が痛んだりした。しかもその夢は,目を閉じると繰り返し現れる(正確にいえば,これから書く文章が脳裏をよぎり,それによって全てを追体験する羽目になる)。もちろん,こんな夢などみたくない。おぞましい悪夢を,目に見える文章にしておくことで,こんな夢はもう見ないということをはっきりさせたい。俺が見たいのはたとえば,暖かい色をした果実の夢だ。

 コンクリートの天井に大きなレールがあり,そこから全裸の人々が逆さにぶら下げられている。老人や若者,男や女が,両足首を縛られ,そこに取り付けられたフックでぶら下がって,前後左右に揺れ,押し合いながら少しずつレールを進んでいく。両手は背中に縛られているが,誰も抵抗する様子は無く,目をうつろに開いて揺れている。俺もその一人だ。
 つり下げられた身体は背中の側に進んでいくので,先になにがあるのかは見えない。しかし俺の視点は身体を離れて,ドキュメンタリーフィルムのカメラのように,肌色の裸体の列に沿って前に進んでいく。女の長い髪が床に向かってつららのように延びている。男たちの萎びたペニスはへそを指して垂れ,身体と一緒に不安定に揺れている。
 ステンレスのトレイや積み上げられた段ボールの上を揺れながら進んでいった肉塊が,いくつかあるゴムのカーテンをかきわけると,白い蛍光灯に照らされた,広い作業場のような場所に出る。足首の車輪がジャーッと音を立て,身体と身体の間隔が数メートル開く。その右側に,タイガースのユニフォームを着た男が立っている。男は髪を刈り上げ口ひげを生やしており,太ってはいるが尻と足首は締まっている。一瞬だけランディ・バースを連想するが,男の目は細く無表情だ。
 男はバットを構え,腰を捻って,素早く力強くスイングする。風を切る鋭い音と,骨が砕ける鈍い音がする。ぶら下げられた裸の男が一瞬で絶命する。男が再び姿勢を整え,バットを構えると,レールが音を立て,次の身体が男の前に静止する。
 よくみると,縦縞のユニフォームを着た男は毎回微妙にスイングを変えている。ぶら下げられた身体の身長にあわせてバットの位置を調整し,首の骨を一撃で砕いているのだ。死体の首は不自然に長い。目を開いた表情は,これから殺される人たちのものと同じはずなのに,どこかが決定的に違う。息絶えた身体は再びレールを勢いよく滑って,ゴムのカーテンの向こうへと消えていく。カメラはそれを追わないが,そこでは死体が手際よく解体されているのだろうと俺は思う。ここはまさに屠殺場だ。
 見ると,俺の身体も作業場に滑り込み,死を待つ列に並んでいる。恐怖は全くない。ただ漠然とした安堵感だけがある。
 ところが,機械的に進められていた処理がかき乱される。縦縞の男の横に,作業服を着た年配の男と,スーツを着た数人の男が現れる。作業服の男は部屋をあちこちを指さし,なにかを説明している。官僚が視察にきたらしい。
 スーツの男の一人が上着を脱ぎ,縦縞の男を短く邪険な言葉で押しのけると,腕をまくり上げ,日本刀を抜く。大げさな身振りで振り上げ,構えると,バットのように横に振る。刀は吊り下げられた男の肩の肉をそぎ落とし,首に切り込んで止まる。男の悲痛な叫び声が響く。それまで無気力に吊り下げられていた人々の間に動揺が広がる。ある者は震えはじめ,ある者は身体をくねらせて弱々しくもがく。
 そこから先はあまりに残虐で,もう音は聞こえず,スライドショーのように細切れに映し出される。床に肉片と黒い血が飛び散る。縦縞の男は顔を背けている。何度も斬りつけられた男が,首筋から血糊の泡を噴き出しながら,それでも絶命することなく,低いうめき声を上げながらカーテンの向こうに消えていく。スーツの男はなにごとかつぶやき,笑い,ふたたび刀を構える。次の位置に吊り下げられている若い女は,恐怖で目を見開き,顔は笑っているように引きつり,その首筋と頬を伝って,失禁した尿が流れていく。
 そこで視点が切り替わる。逆さに吊り下げられている俺からは,背中を向けた裸の身体の列しか見えない。背中側の数メートル先から獣のような悲鳴が繰り返し聞こえる。ひどい吐き気がする。絶望で身体中が凍り付く。もう何も見たくないし聞きたくない。ぎゅっと目を閉じて,これまでに一度も経験したことがないほどに,強く強く祈る。誰でもいい,お願いだから,あの役人を止めてくれ。

 広大な工事現場の一角に,地面を掘って作られた白いコンクリートの四角い囲いがあって,生コンが流しこまれたばかりのように見える。それは泥のプールだ。冬の空が青く澄み渡り,陽は照っているのだが,冷たい強風が辺りを吹き抜けている。とても寒い。
 プールの周囲には数え切れないほど大勢の人々が横たわっている。コートやジャンパーを着たまま,後ろ手に縛られ,足首にフックをつけられて転がされている。その間を作業員たちが歩き回っている。泥のプールの横には,何台かの小さなクレーンがあって,黄色と黒の縞を塗られたアームを忙しく動かしている。
 横たわった人の足下にアームが寄せられると,作業員が縛られた両脚を無造作に持ち上げ,フックをアームに掛ける。逆さに吊り下げられた人は泥のプールの上に運ばれる。悲鳴をあげていたとしても,強い風にかき消されてしまう。アームが急速に下降し,まるで杭を打ち込むように,吊り下げられた身体がまっすぐ泥のなかに突き刺さる。腰のあたりまでが泥に埋もれると,アームは何度か小刻みに縦に揺らされる(泥を身体に密着させるためだ)。窒息した人々は身体を激しく捩るが,その動きは徐々に弱々しくなり,やがてはぐったりと静止する。十分ほど経ってから,再びアームが上昇し,泥まみれの死体が引き揚げられ(その顔はよく見えない),泥のプールの脇に放り出される。
 俺はうつぶせに横たわった姿勢のまま,人々が次々ともがき死んでいく様子をひたすら見つめている。視線を逸らすことができない。「世の中には死ぬほどの苦しみがたくさんあって」と俺は考える。「病気や事故のせいで,何度も死ぬほどの苦しみを味わいながら,しかし生き延びる人もいる。それに比べれば,一度きりの苦しみで確実に死ねるんだから,この死に方はそう悪くはないはずだ」そう自分に言い聞かせるのだが,死に瀕して苦しげにもがき続ける人々を見ると,恐怖で身体が凍り付く。もっと楽に死なせて貰えないものだろうか。
 若い男の作業員が俺を見下ろし,馴れ馴れしい口調で云う。じゃあこっちにする? 指し示す方向を見ると,もうひとつの小さなプールがある。黒いコートを着た小柄な女性をクレーンが逆さに吊り上げ,プールに突き落とすと,その身体は一瞬だけ痙攣するが,すぐに静止する。特別な薬剤が泥に含まれているのだ。ああ,技術革新というのは有り難いものだなあ,と俺は思う。断然こちらのプールのほうが良い。
 クレーンが上昇し,あっというまに絶命した女の身体を吊り上げる。一瞬,顔が青く塗られているように見える。それは変色した肉塊だ。顔はただれ落ち,原型をとどめていない。垂れている髪の先にひっついている白いものは,溶け落ちた眼球だ。
 俺は激しく吐く。胃が激しく痙攣し,のど元に固く収縮する。なにも出るものがなくなっても吐き続ける。胃液が喉を熱く焼く。もう呼吸ができない。両手を縛られたまま,俺は激しく身を捩らせ,口から粘液を垂らす。まさにこれだ,これが死ぬほどの苦しみだ,と俺は思う。
 長く苦しんだあげく,ようやく目をかすかに開くと,滲んだ涙の向こうで,男が辛抱強く待っている。呼吸を整え,かすれた声で俺は「こっちにしてください」とつぶやき,再び目を閉じる。両脚が持ち上げられ,クレーンに取り付けられたのがわかる。俺は身体を硬くして身構え,一瞬で終わってくれるはずの激しい苦痛を待つ。

 俺は寝たきりの老人で,施設の相部屋のベッドに横たわっている。全身の感覚はまったくなく,指先ひとつも動かすことが出来ない。意のままになるのは呼吸と瞬きくらいだ。深夜の病室は真っ暗で,入り口からかすかに廊下の黄色い光が差し込んでいる。
 かすかな悲鳴が聞こえる。まだ誰も気がついていないが,遠くの病室で,老人たちが一人づつ死んでいるのだ。
 それには名前がない。強いてそれを呼ぶのなら,『なんだかよくわからないもの』としか云いようがない。それは生き物でもそうでないものでもあり,大きいようでも小さいようでもあり,黒いようでも黒くないようでもあって,なんだかよくわからないやり方で,静かに人の命を絶つ。それから逃れることは誰にもできない。遠くで若い娘のかすかな悲鳴が聞こえる。可哀想に,寝たきりの我々はいいとしても,巻き添えを食って殺される看護婦たちはたまったもんじゃないよな,と俺は思う。
 誰にも伝える手段がないが,実は俺は『なんだかよくわからないもの』についてかなりの知識を持っている。ナショナル・ジオグラフィックで読んだのだ。それにはちゃんと正式な名前があるのだが,その長い名前はあまりに禍々しいので,意識することさえできない。その大きさは2メートルとも5メートルとも云われ,その姿は黒い霧のようだと云われている。それは人をすっぽりと包み込むと,足首を持って身体を軽々と吊り下げ,勢いをつけて,後頭部をリノリウムの床に激しく叩きつける。興に乗ると,鉄棒の大車輪のように身体をくるくると数回転させてから叩きつけることもあるらしい(入れ歯が天井にめり込んでいる事例が報告されている)。いずれにせよ,人は苦痛を感じる間もなく死んでいくと考えられている。掲載されていた原色の想像図を思い出す。ベッドににじり寄っていくその黒い霧は,鉛筆を握りしめた子どもの殴り書きのようにも見えた。
 俺はただ横たわり,『なんだかよくわからないもの』が俺の命を絶ってくれるのを心待ちにしている。窓の外の風に乗って時折聞こえてくる悲鳴に,じっと耳を澄ます。しかし,その気配は一向に近づいてこない。このまま夜が明けてしまうかもしれない。苦痛に満ちた一日がまたはじまってしまう。いっそ気がつかなければ良かった。同室のベッドに力無く横たわる老人たちのように,ただ眠っていればよかった。
 じりじりと待っていても仕方がない。若い日々の思い出に身を浸し,最後のひとときを楽しく過ごそう,と俺は考える。しかし,目を閉じて思い出すどんな記憶も,強い悔恨へとつながってしまう。子ども時代の思い出。学生時代。大学院生の頃。どれも即座に,苦い思いだけを引き起こす。なにを考えても突きつけられるのは,俺の人生が失敗だったという事実だ。なにもかも失敗だった。そのことから逃れることはできないのだ。
 目を開けると,病室の暗い天井がある。俺は心のなかで,もういいんだ,なにもかもようやく終わるのだ,と繰り返す。ようやく緊張がほどけ,両眼から暖かい涙がとめどなく溢れる。俺はひたすら繰り返す。救済がやって来る。必ず来る。この夜が明ける前に。

 新年早々,なぜこんなひどい夢を繰り返し見なければならないのか。その原因がわからないことには,安心して眠ることさえできない。下痢と頭痛に苦しみながら(ちょっと風邪を引いたみたいだ),俺は悩みに悩み,考えに考え,昨夜便所で尻を拭こうとした瞬間,突如として洞察を得た。きわめて革命的な洞察だ。
 この3つの夢には重大な共通点がある。足首を掴まれて逆さに吊り下げられる,という点だ。なぜそんな夢を見たか? それはあんぽ柿のせいなのだ。
 年末にスーパーで山梨産のあんぽ柿を買った(4個で300円くらい)。それがあまりに美味いので(濃い煎茶とともに頂くあんぽ柿は夢のように甘い),自宅で作れないものかと思い,Google様にお伺いを立てたところ,案外に簡単なものであることがわかった。薬剤を使って薫蒸や漂白をする場合もあるそうなのだが,要するに,枝のついた柿の皮を剥き,ぶら下げて干すだけである。へえ,来年試してみようかしらん,と思ったのだが,張ったロープにぶら下げられた柿を想像した拍子に,ほんの一瞬,足首から逆さにぶら下げられた人々のことを,確かに俺は思い浮かべたのだ。

 だからなにも怖れることはない。死も,老いも,苦痛も,俺のいるこの場所からは,いまはまだ遠くにある。確かに俺の人生は失敗だったけれども,それでも俺はこれからの日々を,それなりに気楽に過ごしていくだろう。なにも悔やむことはない。怖れることなどなにもないのだ。
 今夜目を閉じたら,吊り下げられた死体のかわりに,俺はあんぽ柿の夢をみよう。暖かいオレンジ色の柿の夢をみよう。

雑記 - あんぽ柿

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