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2007年5月21日 (月)

Bookcover もぐら随筆 (講談社文芸文庫) [a]
川崎 長太郎 / 講談社 / 2006-06-10
小田原の駅前にある本屋で,しばらくためらった末に意を決してレジに向かい,お釣りをもらいながら,つかぬことを伺いますが。。。と切り出した。小田原出身の作家に川崎長太郎という人がいるのですが,その人の小説のなかに本屋さんが出てくるのです。なにかご存じありませんか。
 店主らしい初老の男性が,ああ,それはうちのことでしょう,と事も無げに答えてくれたので,かえって驚いた。当時は店は別のところにあったんだけど,長太郎さんは競馬の帰りによく寄ってくれた。人から借りた金で馬券を買うとよく当たる,と笑っていた。先日十三回忌があって,関係者でだるまや(川崎長太郎が通っていた店)に集まって,みんなでチラシ丼を食べましたよ。若いのに長太郎さんを読んでくれるなんて,うれしいですね。 
 あまり長く話を聞くわけにもいかなかったし,俺の知識といえば短編集を数冊読んだだけで,深く掘り下げて尋ねるほどにこの作家について詳しいわけでもなかった。レジに他の客が来たのを潮に,会釈して店を出た。
 その本屋にはそれまでも何度か立ち寄ったことがあった。登山鉄道で少し登ったところに学校があって,そこで仕事だか勉強だかをさせてもらっていたことがあって,帰りに電車を乗り換えるついでに,市内を散策するのが習慣になっていたのである。夕方の雑然とした商店街を抜けて,人気のあまりない旧道まで,仕事帰りの重い鞄を肩から提げてふらふら歩いたこともあった。旧道の向こうには不気味に閑散とした町並みがあって,黒々とした巨大な防波堤をくぐり抜けると海岸があった。
 うろうろと散歩していても,海を眺めていても,頭の中はいつも不安と焦燥感でいっぱいだった。ここでなにをしているのだろうか,これからどうなるのだろうか,そうやって答えのない問いを繰り返して,後にはただ疲労しか残らない。小田原の町並みを思い出すと,川崎長太郎の描く海岸の掘っ立て小屋の描写と重なって,なにもかもどうでもいいというような,投げやりな感情が蘇ってくる。もっとも,砂を噛むような日々の感情をやり過ごすのが少しうまくなっただけで,本質的には,今もあのころと同じところをぐるぐると回っているのかもしれない。
 本屋で川崎長太郎のことを尋ねた,その翌年だったか,一年ぶりにその本屋に立ち寄ってなにか本を買ったら,カウンターの店主がちらりとこちらを見て,毎度どうも,と会釈してくれた。それがもう四,五年前のことだ。小田原にはそれきり行っていない。

フィクション - 読了:05/21まで (F)

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