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2008年2月 3日 (日)

Bookcover 中野本町の家 (住まい学大系) [a]
後藤 暢子,後藤 文子,後藤 幸子 / 住まいの図書館出版局 / 1998-01
数年前に現代建築の写真集で,気鋭の建築家の代表作と目されているという有名な住宅の写真を見て,こりゃあさぞや住みにくかろう,と吹きだしてしまった。それはU字型の開口部を直線で閉じたような形をした平屋で(つまり中庭はコンクリの壁で完全に囲われてしまっている),建物の内部は白い曲面の壁に包まれた幻想的なチューブ状で,窓などというものはなく,床からぼっかりとフットライトが突き出ている,という。。。こんな美術館の渡り廊下みたいな家で暮らしてやろうというのは,いったいどういう奇特な人だろうか,と不思議に思った。きっと週に一回くらいは,照明器具に足の小指をぶつけて泣く羽目になるにちがいない。
 そのU字型の住宅の施主にインタビューした本があるというので,ずっと気にかかっていた。このたび区立図書館で取り寄せてもらった。一日で読了し,あまりに面白いのでさらに読み返した。これが絶版なんて,もったいない。
 施主である音楽学者の女性は,旦那さんに先立たれ,残された二人の娘と共に暮らすための家を建てるべく弟に設計を依頼するのだが,幸か不幸かその弟が新進気鋭の建築家(つまり伊東豊雄)であったばかりに,その姉の心の有り様を掬い取ったとてつもない家が建ってしまうわけである。その家で育ち,いまは家を出て暮らしている長女がインタビューに答え,家に対する愛憎半ばする感情を,あの家は墓のようだと形容するくだりがあって,衝撃的である。
 いろいろなことを考えさせられる,とても面白い本だったけれど,俺の頭が悪いせいか,ついついシニカルに捉えてしまう。母と二人の娘が,家が自分に与えた影響について真剣に言葉を選びながら語るのだが(そのへんの世間話とはレベルが異なる。なにしろ三人ともものすごいインテリなのである),思うに,いったんある環境で育ってしまったが最後,もし違う環境が与えられていたら私はどうなっていただろうか。。。という問いには,実証的な意味がほとんどなくなってしまう。あんな家で成長するということは,確かに人格形成に大きな影響を与えるのかもしれないし,案外そうでもないのかもしれない。どう思うかは本人の自己概念しだいであって,だからこの本を読んで「ああ住宅というものは人に大きな影響を与えるものだなあ」と考える人がいるとしたら,いやそれはちょっとちがうだろう,と思う。あとになって振り返るんだったら,なんとでもいえますって。
 家を設計するということが,なにかすごく高邁で精神的な営みであるような話になってきちゃうのも,ちょっとついていけない。昔D.ノーマンのデザイン論の本を読んでいて,いや先生なにもデザインの良し悪しは使いやすさだけで決まるものではないでしょう,そもそも人工物に使いやすさという性質があらかじめ備わっているわけではないでしょう,これでは心理学帝国主義じゃないですか,と反発した覚えがある。いっぽう建築家の難しい話を読んでいると,いや先生それはそれとして使いやすさも大事でしょう,誰がどうみたって使いにくい建物ってのはありうるし,そんなの平気でたてちゃうのは建築家のわがままでしょう,とちょうど逆向きの感想を持ってしまう。「中野本町の家」を取り壊すに至る経緯はいろいろあっただろうけど,要するにものすごーく住みにくかったんとちがいますか,と。
 別の種類の疑問もある。建築に関心のあるひとは,きっとあの建築の意味,この建築の意味について考えるのだろうけれども,俺はたいして関心がないもので,有名な建築家が設計した家と,俺が育ち暮らし一生を終えるであろう無味乾燥なアパートとの違いに気をとられてしまう。要するに,そんなの金持ちの道楽とちがうんか,と。

ノンフィクション(-2010) - 読了:02/03まで (NF)

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