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2009年12月27日 (日)

Bookcover 「国語」入試の近現代史 (講談社選書メチエ) [a]
石川 巧 / 講談社 / 2008-01-11
学校の国語の試験では,小説の一節に傍線が引いてあって,この部分での登場人物の気持ちを以下の選択肢から選べ。。。なんていうのがよくあった。ああ,もうああいう試験を受けなくて済むかと思うと嬉しい。
 この本によると,文意を訳したり語意を答えたりするのではなく,上のように小説を小説として読ませるタイプの試験問題は,戦後の新制大学の入試問題からはじまったものなのだそうだ。面白いのは,選択式の設問こそがこの種の試験問題を可能にしている,という点。なるほど,記述式では収拾がつかなくなるもんね。
 著者によれば,「入試現代文の定着と展開は,教育の場において,かくあるべき国民を育成していくための重要なプロジェクトであった」。我々は文章を与えられたとき,「そこに書かれている内容をありのままに把握するのではなく,誰かの問いかけに応答するようにして文章を読み進めている。あたかも,文章に目にみえない傍線が引かれ,空欄が設けられ,全体の要旨をまとめよという問いかけが準備されていて,それをクリアしなければ「読む」という行為を達成できないかのように考えながら文章に接している。」つまり,我々は「入試問題を解くようにしか文章を読めなくなっている」のである。
 うーん。。。そうかもしれない。でも,いずれにしろ,教育は我々になんらかの読みのシステムを押しつけるものであり,我々は制度の内側にとどまるために,そのシステムを身につけざるを得ないのではなかろうか。問題は,そのシステムの相対的な良し悪し,そしてその制度からはみ出していく力とどのように相互作用していくか,なのではないかと思う。前者についていえば,<単一の正解が常に存在するという前提の下で文章を読む>という我々の「読みシステム」は,確かにとても偏狭なものではあるけれど,<国民精神を涵養するために文章を読む>という「読みシステム」や,<ひとりひとりの個性が開花する社会を目指すべく文章を読む>「読みシステム」に比べれば,ずいぶんましなほうではないだろうか。

心理・教育 - 読了:12/27まで (P)

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