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2009年12月27日 (日)

Bookcover 日本型「教養」の運命 歴史社会学的考察 (岩波現代文庫) [a]
筒井 清忠 / 岩波書店 / 2009-12-16
この本の主題からはちょっと離れるけど,4章の付論「修養主義の思想的課題」が面白かった。
 明治初期の日本の原動力は立身出世主義であった。本でいえば,スマイルズ「西国立志篇」(「自助論」の当時の邦題),二宮尊徳「報徳記」の価値観である。ところが国家体制の整備に伴い,次第に過酷な競争が現実化し,立身出世=成功に手が届かない時代がやってくる。このプロセスで,努力による人格向上を神聖視する「修養主義」イデオロギーが確立する。著者によれば,この修養主義こそが,のちの旧制高校的な教養主義の母体となり,いわば日本版「資本主義の精神」として機能するのだ。さて明治後期,修養主義は人格修養と成功とを結びつける回路を作り出し,閉塞感に押しつぶされた青年たちを説得しなければならなかった。では,その説得戦略は?

なるほどねえ。。。

 俺は高校入学時に引っ越したもので,地元の事情を知らずに転居先の近所の公立高校に通ったのだけれど,そこは実はその田舎ではちょっとした進学校であった。卒業前にようやく気がついたのだが,同級生たちの多くは,親戚一同の期待を一身にあつめ,そのプレッシャーにあえいでいたのであった。今にして思えば,彼ら/彼女らは,自分が死ぬほど努力して一流校に入らなければならない,その主体的な理由を必死に探していたのだろう。俺はボンヤリしていたから,その苦しみがよくわからなかった。いやあ,悪いことをしたなあ。彼らがうまく出世できていますように。
 彼らはきっと,受験勉強に適応するためのなんらかの合理化方略をその手でつかみ取る必要があったのではないかと思う。「受験勉強という努力そのものに価値がある。結果は不問」とか,「努力は目的であり,かつ成功への手段でもある」とか,「弁護士になって弱い人々を救うのだ」とか。そういうの,類型化できると面白いですね。で,その類型ごとに,大学進学後の適応性を縦断調査で追いかけたりなんかして。。。

日本近現代史 - 読了: 12/27まで (CH)

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