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2012年1月16日 (月)

Bookcover おしゃれ女子コレクション [a]
ashimai / 大和出版 / 2011-11-16
昨春から原宿のオフィスに通っているのだけれど,朝の出勤時に私と一緒に原宿駅から吐き出されてくる女性たちが実にファッショナブルで,とても面食らった。あとで気がついたんだけど,彼女たちの多くはきっとショップの店員さんなんでしょうね。服装に気を遣うのも商売のうちなのであろう。
 ともあれ,私のような門外漢がみても「あの人はオシャレだ」と感じる場合があるということは(その判断が正しいかどうかは別にして),なにをもってオシャレとみなすかという概念が,暗黙のうちに学習されているということであろう。これはなかなか気味の悪い事態だ。誰がいつどのようにして,私にそのような概念を刷り込んだのか? その由縁がわからないのなら,せめてオシャレという概念の内訳くらいは知っておきたい。
 というわけで,本屋で見つけて買った本。 著者が街でみかけたオシャレな娘さんの「最強コーデ」を(誰と闘っているのだろうか),イラストにコメントを添える形で紹介している。帯に「リアルだからマネしやすい! 簡単にかわいくなれる!」とあるので,このくらいの初心者向けの本が俺には適しているだろうと思った次第である。なにか疑問を持つたびにこうして本を買いこむのは,悪い癖かもしれない。
 いやあ,なかなか面白かった。まず,ファッション関係の文章は私にとっていつもそうなのだが,形態素のレベルでは理解できるのに文意が理解できない,というところが実に興味深い。「レザージャケット・ダメージデニムにネルシャツと辛くまとめたところに,足元はリボン付きのピンヒールで甘いってところがたまらん。バック,ジャケット,スカートがグレーで統一され,素材違いのグラデになっています。そこにグリーンの差し色。手が届く範囲のセンスのいいこういうコーディネートは大変参考になると思います」 ここでいう辛い,甘いとは何を指しているのか。素材違いのグラデ(グラデーションのことであろう)というのは良いことなのか,それ自体は中立的なのか。差し色とはなんのことか。グリーンの差し色がセンスが良いというのはなにかしら自明なことなのか。わざわざ宇宙や深海のことを考えなくても,未知の世界がすぐそこに広がっているのだ。
 「あえてガーリーさを抑える」「靴だけくずして洗練されたスタイルに」というように,「あえて」「崩す」「外す」といった語が多用されているところも面白い。おそらくは,私には解らないなんらかの強固なスキーマがあって,そこから少しだけ意図的に逸脱することが,この著者のいうオシャレという概念と関係しているのだろう。たしか九鬼周造 「『いき』の構造」にそのような分析があったと思う。30年代の現象学が未だ現実を捉える力を失っていないと知ることは楽しいことだ。
 うかつな表現で差し障りがあるといけないのでテクニカルな用語を使うと,女性の対人魅力を従属変数,顔の美醜や体型やファッションセンスやらを要因にとった分散分析なりコンジョイント分析なりを行えば,まあどの要因もF検定こそ有意かもしれませんが,実質的な大きさの効果量ないし部分効用を持つのは美醜と体型の2要因だけだろう,という気がしてならない。アパレル・ビジネスの関係者などを別にして,ファッションセンスに対する投資のROIはどれほどのものか,怪しいところだと思う。しかし,人は往々にして合理的期待効用で説明できないものを求めるものだ。この本の中にも,ステキな小物を持つと「気持ちがあがる」という表現があって,それは私には全く無い感覚だが,そのような感覚を想像することはできる。なるほど,我々は単純直接に自らの対人魅力の向上だけを目指しているわけではないんだよなあ,と感じ入った次第である。

ノンフィクション(2011-) - 読了:「おしゃれ女子コレクション」