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2014年1月12日 (日)

 正月休みに本棚を眺めてて、これはちょっとまずいんじゃないか、買い込んだ本を読み終えることなく俺は死んでいくんじゃないか... と気が付いたのである。優先順位をつけなければならない。どうしても読みたい本、読んでいるはずなのに読んでいない本から読まなければ。明日失明するつもりで。
 というわけで、「実をいうとこの本を読んでなかった」シリーズ、第一弾。

Bookcover 日経BPクラシックス プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 [a]
マックス・ウェーバー / 日経BP社 / 2010-01-21
プロ倫っていうんですかね。こんなの学生の時分に読んでいて然るべき、このトシ過ぎて読んでるのはいかがなものか... という引け目を感じるが、いやいや、この年齢だからこそ面白い、ということだって起きるはずだ。それにですね、今調べたところによれば、この本書いたときヴェーバーさんは四十歳ですよ。若造が読んでも仕方あるまい?
 で、「やっぱしさっぱり頭に入らなかった」という落ちを覚悟しながら読んでみたのだが、これが意外にも面白い。ヴェーバーくんの文章は、論旨が整理されているとはいいがたいが、着想がユニークである。2章1節でプロテスタントのいろんな教派を比較するあたりはちょっとダレルが、なかなか読ませる文章を書く男だ。次回作にも期待したい。でも注が長すぎるのはどうかと思うよ。
 何様だ。どうもすみません。まあ冗談は置いといて、どこが面白かったかと振り返るに、この本で「檻」と表現されているものが、2014年の極東に生きる私たちの社会を切開して見せたものであるようにも思われるからだ。

ピューリタンたちは職業人であろうと欲した。しかしわたしたちは職業人でなければならないのである。かつては修道院の小さな房のうちで行われていた禁欲が、現世の職業生活のうちに持ち込まれ、世俗内的な倫理を支配するようになった。そしてこの禁欲は、自動的で機械的な生産を可能にする技術的および経済的な条件と結びついて、近代的な経済秩序のあの強力な宇宙を構築するために貢献したのである。このコスモスは今や、直接に経済的な営利活動に携わる人々だけでなく、その機構のうちに生まれてくるすべての個人の生活のスタイルを、圧倒的な威力によって決定しているのである。そして化石燃料の最後の一塊が燃え尽きるまで、今後も決定し続けるだろう。

哲学・思想(2011-) - 読了:「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」

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