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2018年10月20日 (土)

 「世論」と書いて、ヨロンと読むこととセロンと呼ぶことがありますわね。昔は「輿論」と書いてヨロン、「世論」と書いてセロンと読み、前者はpublic opinion, 後者はpopular sentimentsを指していたのだそうです。
 これはもちろん、佐藤卓己(2008)「輿論と世論 ー 日本的民意の系譜学」の受け売り。読み始めたら止まらない、超・面白本です。

 1946年11月、内閣は当用漢字表を告示。「輿」という漢字の使用が制限されることになる。新聞社は「輿論」をどのように言い換えるか。
 「輿論と世論」は、そのいきさつを主に吉原一真(1966)「黎明期のひとびと : 世論調査協議会の開催」に依拠して辿っていく。
 吉原は同盟通信社から官僚に転じて情報局に属し、46年の時点で内閣参事官だった人。この人のところに、毎日新聞輿論調査課・三宅英一から電話がかかってくる。輿論調査はどう言い換えるんだ? 吉原は提案する。「三宅さん、私見だが世論はどうだろう」

 いっぽう別の証言もある。毎日新聞の輿論調査部員・宮森喜久二の提唱によるものだという説で、毎日新聞社の社史はこの説を採っているらしい。なるほど、 宮森喜久二 (1995)「世論調査草創期の思い出」はこう述べている。「万人が首肯し抵抗も感じない別の文字を持ってくる以外にないと考えて思いついたのが「世論」という文字であった 。これなら重箱読みながら「よろん」と読めるし、「せろん」と読む時期が来るかも知れないが、それはその時のこととしても大した問題ではないか、と考えた。加えて字劃も少ないし感覚的にもスマートである」

 「輿論と世論」にはさらに別の証言も紹介されている。朝日新聞大阪本社の百瀬千仭という人(後に国語審議会委員となる)が、「輿論」の代用語として「世論」を書いた用語集を東京に送ったところ、東京では「世論」がヨロンと呼ばれるようになってしまい、のちに百瀬は驚愕した、というもの。この出典は、1974年の雑誌「言語生活」の記事らしい。ありましたね、そういう雑誌!

 佐藤卓己さん(というか、私この先生の著書のファンなので、以下スポーツ選手と同様に呼び捨てします) が吉原説を最初に取り上げているのは、発表年が早く信頼性が高いと踏んだからだと思う。そうだよねタクミ?
 実際のところは、複数の人がそれぞれの思惑で、同時多発的に「輿論」→「世論」という言い換えを考えた、というのが本当のところなのかもな、と思う。そういう理解でいいのかな、どう思う、タクミ? (...すいません)

 まあとにかくそんなわけで、1946年12月8日、毎日新聞の見出しに「世論がさばく」という表現が登場。そうか、真珠湾のちょうど5年後か。
 なお、翌9日には朝日新聞に「世論調査」という表現が登場する。

 なんでこんなメモをとっているかというと...
 数日前、別の調べ物をしていてほんとに偶然に見つけたんだけど、日本世論調査協会報「よろん」85巻 (2000) p.55に短い匿名コラムが載っていて、そこに上と関連する面白いエピソードが紹介されていた。
 「よろん」のこの号には宮森喜久二の追悼記事(2頁)が掲載されている(水野但「宮森喜久二君を送る」)。このコラムはその2頁目の余白を埋めているのである。
 このコラム、なにしろ目次に載ってない。関心ある人にとっても、これを探しあてるのは至難の業であろう。全文を転載しちゃいます。

宮森さんの「世論」作戦
 1946年、漢字制限で「輿」が使えなくなって「輿論」をどう表すか、与論、民論、公論ではどうか、などと問題となっていたころのこと。宮森喜久二さんは、「輿論」調査に替えて新聞紙上で「世論調査」を使い、論争に事実上の決着をつけようとした時の経緯を、当協会報第75号の「世論調査草創期の思い出」の中でふれている。
 新聞がある時期から派手な形で「世論」を使用することを考え、朝日にも足並みを揃えてもらうことにし、次回の調査からどちらが先になっても「世論」を使用する、という発想。その先のことを、宮森さんは「その時こちらは次の調査は企画に入る段階であったから、当然朝日が先に『世論』を使ってくれると期待し、またこちらの押しつけでない印象のためにも朝日に先鞭をつけて欲しかった。ところが悪いことに毎日の世論調査の発表の方が先になってしまった。勿論あいさつは忘れなかったが、半月程経って朝日が『世論調査』の文字で結果を発表して貰えた.私は朝日新闇の雅量に敬意を表してやまなかったが」と書いている。
 先年、実際の紙面を調べたところ、朝日が「世論調査」として報道したのは1946年12月9日の紙面であり、毎日はその一週間後の12月16日であった。これは毎日の世論・選挙センター副部長の浜田重幸氏にも調べて頂いて確認された。ただ、朝日が出す前日の毎日紙面で、世論調査の記事ではない一般の記事の見出しに「世論」が使われていることがわかった。「教組、遂に労委提訴」のニュースの関連記箏として、「正しい民論、大衆の声、健全な父兄の常識がこの問題をさばいてくれると信じている(以下、略)」という文相の談話が載り、それに「世論がさばく」の2段見出しがつけられているのだ。(以前から、「世間の議論」といった意味での「世論」は、「せうん」「せいろん」の読みで使われてはいたが、この見出しは談話の内容からみて、「輿論」に替えて使ったと思われる。)
 宮森さんの文では、「小出しに(『世論』を)使用することを避けるため社内においてもこれを秘匿すること」になっていた。そうしてみると、宮森さんの「あいさつ」は他部のフライングをわびたものではなかったか。宮森さんが毎日新聞世論調査に持ち続けてきた自負が、はからずも記憶でフライングしてしまったのかもしれない。(い)

 なるほどね、12月8日の見出しの「世論」は、毎日の世論調査とは関係ない。宮森の回顧談には、ちょっと事実と異なる部分があるわけだ。
 コラムの書き手である「(い)」とは誰か。この号の末尾に編集委員が連名であとがきを書いており、その6名のなかで名前が「い」から始まるのは今井正俊という方だけ。朝日新聞で世論調査に携わっていた方である模様。

 以上、この小さな埋め草的コラムが面白かったので、メモをとった次第。いやー、目次にない記事ってやめましょうよ、後世の人が困りますよ。

 なお、上述の宮森「世論調査草創期の思い出」は別の面でもとても面白かった。調査の基礎を学ぶため、 敗戦後の焼跡のビルの一室で戸田貞三ら錚々たる教授たちの教えを受け、のちに内幸町のGHQで占領軍の将校パッシンの教えを改めて受けたのだが、パッシンの説明のほうがシグマ記号が出てこなくてわかりやすかった、と感謝している。ありそうだなあ、そういうことって。

雑記 - 1946年に毎日新聞がpublic opinionという意味で「世論」という言葉を最初に使ったいきさつ秘話