elsur.jpn.org >

« 読了:Pauwels, Hanssens, & Siddarth (2002) 値引きの長期的功罪 | メイン | 読了:「なのはな」「花のズボラ飯」 »

2012年4月20日 (金)

Cartwright, N. (2011) A philosopher's view of the long road from RCTs to effectiveness. Lancet, 377, 1400-1401.
 著者はイギリスの哲学者で、いま調べたら著書の邦訳はないようだけど、たしか有名な人だと思う。この人がある論文集に、"Predicting 'It will work for us': Way beyond statistics" というすごく面白そうなタイトルの論文を寄せていて、それを読み始めたのだが、数ページでさっぱりわけがわからなくなってしまった。単にあきらめるだけだと気分が悪いので、代わりにこの人がランセットに寄せた短いコメントを読んでお茶を濁す次第。ところが、医学者向けに平易に書かれたこの文章でさえ難しくて、長々とメモをとってしまった。

 因果的主張に際してランダム化統制試験(RCTs)が優れているといわれる、その理由はなにか? 根本的な理由が二つある。(1)理想的なRCTsは因果的な結論の決め手になる[clinch] ことができるから。(2)理想的なRCTsはself-validatingだから。
 まずひとつめについて:

手法のなかには、結論に対して単に証拠を提供する[vouch for]だけのものもある。ある知見が仮説に証拠を提供しているとみなされるためにはなにが必要かを正確に述べるのは難しいが[althogh it is problematic to say exactly what it takes for a finding to vouch for a hypothesis]、一般的にいえば、少なくとも、その仮説なしにはその知見は驚くべきものであり、その仮説の下ではその仮説は驚くべきものではない、ということが必要だろう。また手法のなかには、[証拠を提供するだけでなく、] 理想的には[in the ideal] その結論の決め手になる [clinch] ものもある。つまり、もしその手法を定義している諸想定が満たされているならば、肯定的な結果がその結論を演繹的に含意するような手法である。理想的なRCT(すなわち、必要な前提がすべて満たされているRCT)は、ひとつの決め手[a clincher]である。大まかにいえば、RCTの論理はある一般的な形而上的前提を想定している: 確率的依存性は因果的説明を要求する[calls for]という前提である(前提1)。実験デザインはもうひとつの前提を保証する働きをする: アウトカムに因果的に関連している、処理(そしてその下流にある諸効果)以外のすべての特徴が、処理群と統制群の間で同じ分布をしているという前提である(前提2)。そして、もしそのアウトカムが統制群よりも処理群においてよりprobableであるならば(前提3)、可能な唯一の説明は、処理群のなかの幾人かのメンバーにおいてその処理がアウトカムを引き起こした、という説明である。

 EBMは、さまざまなvouching evidencesではなくclinchersに焦点をあてるという性質を持っている。おそらくはvouching evidenceを扱うためのチェックリストがないからだろう。しかし、clincherはRCTだけではない。ケース・コントロール研究のような非実験的データや確立した理論からの演繹もclincherになれる。RCTが他とちがうのは、2つめの特徴、つまりself-validatingであるという特徴である。

いかなる手法も、そこからの結論を担保[warrant]するためにあらかじめ満たす必要がある諸想定を持っている。[...] RCTのデザインには、形而上的想定[前提1のことであろう]は別にして、前提2と3を支持[support]してくれるもの(保証[guarantee]してくれるものではない)が組み込まれている[built right into]。処理の施行の監視、ブラインド化、無作為割付、などなどが前提2を支持し、観察された頻度から確率を推論するための技法(たとえば標本サイズが大きいこととか)が前提3を支持する。このように、RCTsはself-validatingである。

 self-validationは美徳ではあるが、しかし必須ではない。RCT以外の研究デザインであっても、十分な情報があれば因果的結論を支持できる。

 さて、ここからが本題である。ここまでの話はすべて、「処理群のなかの幾人かのメンバーにおいてその処理がアウトカムを引き起こした」という因果的主張、つまり"it-works-somewhere"という主張を支持することについての話だ。いっぽう我々が求めているのは、処理が我々の状況において望ましいアウトカムを引き起こすという因果的主張、つまり"it-will-work-for-us"という主張を支持することだ。著者はこの主張を"efficacy claim"と呼んでいる。
 it-works-somewhereからit-will-work-for-usを引き出すために必要なのは、「その処理がそのアウトカムをreliably promoteしている」という主張である。ここで"reliably promote"というのは、大まかにいって、「さまざまな環境を通じて、処理が存在しないときよりも存在するときのほうがそのアウトカムがたくさん生じる」ということである。著者はこの主張を"capacity claim"と呼んでいる。
 ところが問題は、"it-works-somewhere"と"reliably promote"(capacity claim)だけから"it-will-work-for-us"(effecacy claim)を引き出せないという点である。なぜなら、我々はさらに、我々の状況が必要なhelping factorsをすべて含んでいるということを知っていないといけないし、逆方向の圧倒的な原因がないということを知っていないといけない。さらに、capacity claimを担保するのは難しいし、なにが担保になるかを述べてくれる方法論もない。capacity claimを支持してくれるのは、結局は、処理がアウトカムを生み出す理由についての一般的な理解である。
 というわけで、RCTが支持してくれるのは"it-works-somewhere"であって、そこから"it-will-work-for-us"を引き出すためには、capacity claimを理論的に担保するというmessyな問題に取り組まなければならないということを心に刻みなさい。云々。

 やれやれ。苦労して読んだわりには、いまいち話のポイントがつかめなかった。この文章を読む限り、著者のいうcapacity claimというのはいわゆる外的妥当性のことだろうと思うのだが、先に読みかけて挫折した論文のabstractには、'external validty' is the wrong way to characterize the problem なあんて書いてある。なんでだろう。

論文:データ解析(-2014) - 読了:Cartwright (2011) 「こうなってる」から「こうするといいよ」への長い道

rebuilt: 2020年4月20日 18:59
validate this page