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2012年10月 5日 (金)
Ding, M. (2007) An incentive-aligned mechanism for conjoint analysis. Journal of Marketing Research, 44(2), 214-223.
たいしたことをしているわけではないのに、こういうことをいってはいけないのだけれど、私は少々疲れているようである。
なにかその、仕事とも実人生ともなあんにも関係なくて、気楽に読めて、頭の体操になるようなものでも持って、コーヒーショップにでも籠って、気分を変えよう。と思ったのだが、あいにくカバンに本がはいっていない。仕方なく、偶然見かけたキャッチーな論文を印刷して外に出た。truth-telling gameだなんて、面白そうじゃないですか。難しくて手におえなかったら、居眠りでもすればよい。
で、夜更けの閑散としたスタバのソファーでパラパラめくり始めたら、これが仕事と関係ないどころか、おおありで...
背景や目的や理屈をすっとばして実験手続きについていえば、こういう実験である(実験1)。実験が行われたのはiPod Shuffleが発売された一ヶ月後。被験者は大学生・大学院生で、デジタル・プレイヤーの購入に関心がある人、49人。実験群と統制群に折半する。
- まず、以降の実験手続きについて正確に教示する。また、実験に登場するiPod Shuffleとそのアクセサリについて詳しく説明する。ところで、iPod Shuffleにはギフトセットというのがあり(「アスリート向けセット」とか)、本体と周辺機器がパッケージになっているそうである。
- コンジョイント課題。iPod Shuffleの3種類のパッケージを提示し、そのなかのひとつ、ないし「どれも買わない」を選択するよう求める。パッケージを構成している属性は、本体の記憶容量、ケース、ヘッドフォン、スピーカ、カーオーディオ、電源、保証、価格(どれがどれだかわからないが、2,2,3,3,3,3,3,4水準だそうである)。これを24試行繰り返す。
- [実験群のみ] コンジョイント課題には登場していない、ある特定のパッケージ X を提示する。Xは全員同じ。
- 妥当性チェック課題。ここまでに登場していないパッケージを16個並べて提示し、そのなかからひとつ選ぶよう求める。被験者が選んだパッケージを Y とする。
- 最後に報酬を渡す。
この報酬というのが要因操作になっている。まず、全員に10ドル渡す。さらに抽選を行い、40~50人にひとりの割合で、当選者を選ぶ。
- 統制群では、当選者にはパッケージ Y と、250ドルからYの金額を引いた額を渡す。いいかえれば、当選者は250ドルもらうかわりに、その金の一部を払って、妥当性チェック課題で自分が選んだパッケージを買わなければならないわけだ。
- 実験群では、各当選者についてコインを投げる。表が出たら統制群と同じ。裏が出たときがややこしい。
- あらかじめ、コンジョイント課題におけるその人の反応に基づき、パッケージ X に対するその人の支払意思額を推定しておく。仮にそれが100ドルだったとしよう。
- あるランダムな値を発生させる。その値は、0ドルからある上限額までの一様分布に従う。実験に登場するすべてのパッケージの価格はその範囲に入っている。その値をxとしよう。
- もしxがその人の支払意思額(100ドル)よりも上だったら、単にその人に250ドルを渡して、おしまい。
- もしxがその人の支払意思額以下だったら、その人にはパッケージ X と、250ドルからxを引いた額を渡す。いいかえれば、その人は250ドルもらう代わりに、ランダムな金額xを払って、パッケージXを買わなければならないわけだ。
こうして書いてみると、先生いったいなにがしたいんですか? という感じだけど、ひとことでいえば著者は、対象者がコンジョイント課題で正直かつ真剣に答えてくれるような報酬の仕組みを提案しているのである。
著者はこの課題を、被験者と実験者とのあいだの不完全情報ゲームとして捉えている。被験者は、自分の選好構造という私的情報を、ある方略に基づいて提示する。実験者の反応は提示された情報で決まる。で、ゲーム理論の観点からみると、実験群の被験者にとって自分の利益が最大になる方略(ベイジアン・ナッシュ均衡)は、自分の支払意思額を実験者に正確に推測させることだ、ということが証明できるのだそうである。
うーむ... あれこれ考えてみたのだが、素人にも直観的にわかる説明としては、おそらくこういうことではないかと思う。教示を受けた実験群の被験者は、自分が運よく当選し、さらにコインの裏が出た場合について想像するだろう。Xがどんなパッケージかはまだ教わっていないが、そのXに対する自分の本当の支払意思額が、たとえば100ドルだったとしよう。
コンジョイント課題における自分の回答から推定された支払意思額が、たとえば110ドルだったらなにが生じるか。
- ランダムな値 x が、もし110ドルより大きかったら、パッケージXは買わずに済む。
- もしxが100ドル以下だったら、本当の支払意思額以下のお買い得価格 x で X を買える。
- 問題は x が110ドル以下で100ドルより大きかった場合だ。このときは、自分の本当の支払意思額 (100ドル) よりも高い額で、無理やり X を買わされる羽目になる。これは避けたい事態だ。
いっぽう、コンジョイント課題の回答から推定された支払意思額が、たとえば90ドルだったらなにが生じるか。
- ランダムな値 x が、もし100ドル以上だったら、パッケージ X は買わずに済む。
- もし x が90ドル以下だったら、本当の支払意思額以下のお買い得価格 x で Xを買える。
- 問題は、xが100ドルより小さく90ドルより大だった場合だ。このときは、 X を自分の本当の支払意思額(100ドル)より安いお買い得価格 x で買えるところだったのに、結局買えずじまいになる。これは避けたい事態だ。
すなわち、避けたい事態とは、自分の本当の支払意思額と、コンジョイント課題で推定された支払意思額とのあいだのスキマに、ランダムな値 x が落ちてしまうことだ。そういう事態を避けるためには、スキマをなるべく小さくしておく必要がある。そのために、コンジョイント課題には真剣かつ正直に答えよう、と被験者は考えるだろう。
... というような理屈ではないかしらん。
実験で注目する結果指標は、被験者が妥当性チェック課題で選んだパッケージ Y と、コンジョイント課題の回答に基づきその人が選ぶと予測されたパッケージとの一致。統制群では24人中4人、実験群では25人中9人で一致した。つまり、コンジョイント課題で推定した効用の妥当性は、期待した通り、実験群で高くなった。云々。
いやあ、面白かった。被験者がホントに著者のいうような考え方をしているのか、この手法そのものにどのくらい実用性があるのか、回答の妥当性向上は調査コストの増大に見合うのか、そのへんにはいろいろ議論がありうると思う。でも、リサーチにおいて正直な回答が報われるようにインセンティブの仕組みを調整しましょう、そのためにリサーチをゲーム理論の観点から分析しましょう、という発想が、私にはとても新鮮だった。
支払意思額を正直に表明してもらうために、その人の支払意思額とランダムな値で報酬を決めるというアイデアは、Becker, DeGroot, & Marschak(1964, Behavioral Science)が考えたのだそうだ。これは経済学の研究だが、市場調査での応用としてはすでにWertenbroch & Skiera(2002, JMR)というのがあるらしい。この論文は、支払意思額の表明をコンジョイント課題で行うという点にオリジナリティがあるのだと思う
論文:予測市場 - 読了:Ding (2007) 調査対象者が正直かつ真剣に回答したくなるような仕組みのご提案