elsur.jpn.org >

« 読了:de Vries (2005) 電信からモバイルまでの社会史 | メイン | 読了: Wallendorf&Arnould (1988) 「マイ・フェイバリット・シングス」の文化差 »

2013年3月14日 (木)

Vincent, J. (2005) Emotional attachment to mobile phone: An extraordinary relationship. in Hamill, L., & Lasen, A. (eds.) "Mobile World: Past, Present and Future." Springer.
 昨年暮れに目を通した Vincent (2006) とほぼ同内容かもしれないが (正直、良く覚えていない)、まあもう一度ちゃんと読んでおこう、と思ってめくった。

 モバイルはいまやomnipresentだけど、その歴史は浅いし、音声通話を除けば旧技術から断絶している。よって使用のエチケットがもともと存在せず、人々は無線通信と固定電話の経験を参照せざるを得なかった。
 携帯電話使用の大部分は既存の社会的結合の維持である。2000年頃のUKでの著者らの調査では、モバイルは同僚・家族・友人との間では良く用いられていたが、仕事の客先とのあいだではあまり使われていなかった。公共空間での一部ではモバイル機器の使用が禁止された。Katz(2003)は、公共空間での携帯電話使用のありかたを、モバイル通信の「コレオグラフィー」と呼んだ(振付ってことですかね。上手いことをいう)。
 モバイルを持っていない人はいるけれど、いまやモバイルを持っていないということに意味が生じている("absent presence"。社会構成主義のGergenの言葉らしい)。
 人々は自分の携帯について語るとき、パニック、違和感、カッコよさ、不合理性、スリル、不安といった感情的用語を多く用いる。こうした感情は、モバイルとユーザの結合から生まれてきたもので、モバイルが社会的結合をどれだけ助けているか、モバイルが社会参加のためにどれだけ重要か、を示している。他のICTと異なり、モバイルへの感情的愛着はデバイス自体にではなく、デバイスが可能にする内容と対人接触、デバイスに貯蔵されている情報に対して生じている (あれれ、この先生が他の場所で書いてたこととちょっと違うような気が...)。
 感情的表現の背後にあるユーザとデバイスとの心理的関係については、いろいろ研究がある。まず、モバイル通信が社会的ボンディングを促進しているという研究。Ling&Yttri(2002, in Katz&Aakhus)は、ノルウェーのティーンエイジャーがSMSを一種の贈与システムとして用いていることを示している(ああ、これは面白そう)。ほかに、Puro(2002, in Katz&Aakhus), Kopomaa(2000, 書籍), Taylor&Harper(2003, CSCW), など。
 ユーザとモバイルの間には感情創造のプロセスが反復されているのだが、社会的結合の要求だけでは、なんでモバイルに限って強い感情的愛着が生じるのかの説明になっていない。ここにはおそらく行動と技術のsynthesisがあるわけで、この点について理解するにはオートポイエシスの概念が役に立つであろう(で、出たあ...)。
 モバイルへの感情を有効活用するというのは難しい問題だけど、これからの製品・サービスにとってはすごく重要だ。まずはユーザの感情についてもっと理解しないといけない。たとえば、SMSをただのコミュニケーション技術だと思ってはいけない。過去の個人的なメッセージを蓄積していることが感情的に価値があったりするのだ。
 云々。。。

 この先生の文章がなんで頭に入ってこないのか、やっとわかった。この先生、現象観察が大好きな人に時々みかける、ちょっとまとまりのない文章を書く人なのだ。

論文:マーケティング - 読了:Vincent (2005) 携帯電話への感情的愛着