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2015年7月 5日 (日)
福元圭太(2012) 「精神物理学原論」の射程-フェヒナーにおける自然哲学の自然科学的基盤-. 西日本ドイツ文学, 24, 13-27,.
九大のドイツ文学の先生が、わたし数学苦手なのに...などと脚注でこっそりぼやきつつ書き続けておられる、心理学の教科書に出てくるえらい人・フェヒナーについての評伝、その第四弾。通しタイトルがついていないので気が付かなかった。仕事とは一切関係ないけど、楽しく拝読しております。
- 精神物理学の測定法には極限法と調整法と恒常法があって... とかなんとか、心理学実験で教えた記憶があるんだけど(いまでも教えるのかしらん)、あれの原典がフェヒナー「精神物理学原論」(1860)。しかしフェヒナーに言わせると、そういう物理量と心理量の関係を研究するのは「外的精神物理学」。フェヒナーはそれとは別に、身体と心理との関係をあつかう「内的精神物理学」を構想していたんだそうだ。へー。
- フェヒナーいわく、刺激閾を下回る外的刺激であっても感覚を変化させる。ただその変化が意識されないだけだ。つまり、意識は非連続的に動いているようにみえるが、無意識までひっくるめるとすべては連続的に動く。そこではエネルギーが保存される。ゆえに(?) 身体が滅んでも魂は存続する... という風に考えたのだそうだ。フェヒナー先生は自然科学的な帰納を通じて神の存在を実証できると考えたのである。うっわー。
論文:その他 - 福元 (2012) フェヒナー先生とその時代・第四弾