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2015年8月17日 (月)
Camerer, C.F., Fehr, E. (2009) When does "Economic man" dominate social behavior? Science, 311(5757), 47-52.
いま仕事で予測市場のことを考えてて、いろいろ思い悩むこと多く、魅力的なタイトルに惹かれてふらふらと読んでしまった。実験論文かと思いきやレビューであった(REVIEWと大書している字が大きすぎてかえって気づかなかった)。よく知らないけど、第一著者は行動ゲーム理論の教科書を書いている人だと思う。
ええと。。。
個人は合理的意思決定者です、純粋に自己配慮的(self-regarding)な選好を持ってます。これが多くの経済的分析の基礎にある想定だ。
- 合理性の想定は二つの部分を含んでいる:(1)個人は環境における出来事や他者の行動についての信念を形成し、それは平均的に見て正しい。(2)個人は自らの信念のもとで自らの選好をもっともよく満たす行為を選択する。
- 選好の自己配慮性とは、自分の経済的厚生に影響しない限り、結果そのものや他者の行動に関心を持たないことをいう。選好が道徳と無関係だという想定だともいえる。
多くの人々が、この合理性の想定と自己配慮的選好の想定に反した姿を示す。このことは経済学において繰り返し示されている。
しかし、市場や政治過程といった集団レベルの実体が示す行動においても、これらの違反が姿を現すかどうかは別の問題である。参加者の一部がこれらの想定に違犯しているのに、集計レベルでの結果は全員が合理的・自己配慮的であるという想定と合致する、という実験例は数多い。
問題は、集団レベルの結果が、異質な参加者の間の相互作用によってどのように形成されているか、である。
- 囚人のジレンマゲームについてみてみよう。近年の研究は、強いreciprocators[互いの利益を考慮する人のことであろう]が一定割合存在することを示している。[... 実験の紹介... ] とこのように、強いrecirocatorsの存在によって、「経済学的人間」の行動が変わることもあれば、限定合理的だったり他者配慮的選好を持っていている人が「経済学的人間」としてふるまうようになることもある。
- バーゲニングでもそうだ。最後通牒ゲームについてみてみよう。売り手側に競争があると急に言い値が下がるのだが、[... 実験の紹介...] とこのように、自己配慮的エージェントの存在がreciprocatorsをして自己配慮的エージェントのように行動せしめるのである。この現象をうまく説明するモデルも登場している。たとえば不平等性回避の理論。
集団レベルでの行動について理解するための鍵は「戦略的代替性」と「戦略的補完性」だ。[... 説明 ...]
- 次のゲームについて考えよう。多くのプレイヤーが0から100のあいだの数字を同時に選ぶ。その平均の2/3倍に最も近かった人に固定額の商品を渡す。ケインズにちなんで「美人投票ゲーム」と呼ばれるゲームである。ゲーム理論の観点からいえば、全員が0と答えるのがナッシュ均衡であるが、実際にはそうならない。
- 今度は次のビジネス参入ゲームについて考えよう。12の企業がある。ある市場に参入したらペイオフ0.5。別の競争市場もあって、あるサイズ c を超えるまではペイオフ1, 超えたらペイオフ0。このゲームではナッシュ均衡は「c社が競争市場に参入する」である。実際、コミュニケーションなしの一発実験でも均衡に近い結果になる。
このちがいはなぜ生じるのか。ポイントは、美人投票ゲームの数字は戦略的補完物で(非合理的な人と同じことをすることにインセンティブがある)、ビジネス参入ゲームの選択は戦略的代替物だ(非合理的な人と違うことをすることにインセンティブがある)という点だ。
統一的な説明原理があるかって? あります。そのひとつが「認知的階層性」の理論。戦略的推論においてまわすステップ数の分布を考えて... [説明略]
戦略的代替性と補完性は市場においても重要だ。たとえば、予測市場による予測が正確なのは、貧しい情報しか持たないトレーダーのおかげで、豊かな情報を持つトレーダーが儲けることができるからだ(戦略的代替性)。これに対し実際の証券市場では、取引成績のプレッシャーや空売りの困難さなどのせいで、情報を持っていないトレーダーが、情報を持っていない群衆に従わざるを得ないことが起きる(戦略的補完性)。
云々。
。。。あんましきちんと読んでないけど、面白かったっす。意外な文脈で予測市場の話が出てきたりして、身も蓋もないご意見にウウウウと呻いたりなんかして。先生に言わせれば、予測市場の勝因は正解があとでわかる点にある、その点で実際の証券市場より良くできている、ということになろう。
このレビュー論文のテーマとはちょっとずれるけど、集団の合理性と個人の合理性ってちょっとちがう、でもそのことをついつい忘れちゃうよなあ... と考え込んだ。
予測市場の話でもそうで、ついつい、予測市場をうまく機能させるために、いかにして市場参加者をして利益最大化を追求せしめるか、というふうに考えてしまうのだけれど、本質的にはそうではないのでしょうね。要するに取引メカニズムを通じて情報が集約されたり生成されたりすればそれでよいのであって、そのことと、個々人が自らの選好に基づき利益最大化を図るかどうかとは、おそらくちょっとフェイズの違う問題なのだ。
論文:予測市場 - 読了:Camerer & Fehr (2009) 集団が合理的経済人として振る舞うのはどんなとき?