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2018年8月 6日 (月)

Bookcover 松下竜一 その仕事〈15〉砦に拠る [a]
松下 竜一 / 河出書房新社 / 2000-01
最近読んだ本のなかでの、いや、ここ数年に読んだ本のなかでのベスト・ワン。読み終えてからも深い印象を残す、これは大変な本であった。

 大分・熊本の県境、筑後川水系に建設された下筌(しもうけ)ダムの建設をめぐる反対運動、通称「蜂ノ巣城事件」を描いたノンフィクション。
 ダム建設予定地の地主のひとりである室原友幸さんは、村では「大学さん」と呼ばれる孤高の隠棲者、いっちゃなんだが大変に偏屈な老人である。1957年、村の人々がダム反対運動への協力を求めに訪れたとき、この老人は問い返す。「おれがいったん反対に立てば、絶対に途中でやめん。それについてくるだけの覚悟が君たちにあるのか」その言葉の通り、この人は1970年に亡くなるまで、孤独で凄絶な抵抗を続けることになる。
 室原さんは偏屈にして奇矯、お世辞にも住民運動のリーダーとはいう柄ではなく、むしろ最後の封建領主という表現がふさわしい。予定地に築いた壮大な砦「蜂ノ巣城」には村人たちが総出で立てこもるし、後には三池労組をはじめとする革新系組織が反対運動に参加するが、この人は結局のところ、たったひとりで闘っているのである。法律から地質学、電気工学にいたるまでの書籍を座敷に積み上げ、早朝から独学を続ける様子は鬼気迫る。六法全書を片手にみずから提訴を乱発、法廷での争いは十年間で約八十件に及んだという。
 この物語には善人も悪人もいない。九州地方建設局の作業隊は村人たちへの怒りに燃え、砦になだれ込もうとするも中止を命じられ啜り泣く。現場の人望厚い所長は、ダム建設への情熱故に上層部から危険視され更迭される。人々はやがて展望のない闘争から離れ、砦を去って行く。反対運動にとって最大の挫折となった東京地裁の判決後、弁護士はなぜか控訴手続きを怠り敗訴を確定させる(その理由はいまも謎であるという)。その裁判長はのちに室原さんと親交を結ぶことになる。新任の所長もまた、晩年の室原さんとの信頼関係を築き、この老人に「花道」を用意すべく奔走する。様々な人々のドラマが、室原さんという孤高の老人を中心に回転していく。
 国会の参考人喚問の場で、室原さんは九州地方建設局幹部の名刺を振りかざす。住所変更の前につくった名刺を、住所をペンで書き換えて渡すとは、こんな失礼なことがあるか、と激怒するのである。室原さんの怒りは誇り高さゆえの私憤であるともいえる。しかしその怒りはやがて、国家という大きな装置に抗して個人の尊厳を守り抜こうとする、普遍的な闘いへと連なっていく。

 著者の松下竜一さんは、「豆腐屋の四季」で世に出た往年のノンフィクション作家として名前を覚えていたが、これほどの大作家とは知らなかった。
 著者の後書きによれば、俳優の緒形拳がこの作品の映画化を熱望していたらしい。わかるなあ。

ノンフィクション(2018-) - 読了:「砦に拠る」