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2005年10月31日 (月)

 ダイエー創業者の中内功さんが,危機に陥った会社の経営から離れ,ファウンダーという名前の名誉職に就いたとき,「経営は手放しても構わない。ただ創業者にふさわしい処遇をしてほしい」と云った,という話が,当時どこかの雑誌に紹介されていた。本屋でぼんやり立ち読みしていてこの一行が目にとまったとき,どこからともなくこんな台詞が頭に浮かんだ。「無惨だ。老いとはかくも無惨なものか」
 たぶんこれは,沢木耕太郎のノンフィクション「人の砂漠」に出てくる一節だ。10代に読んだ本はなぜかこんな風に突然頭をよぎることがあって,なかなかおそろしい。
 「人の砂漠」は著者が大学を出たばかりの頃に書いたデビュー作で,この言葉が出てくるのはたしかこんな文脈だった。大阪の先物市場に伝説的な相場師がいる。幾度となく奈落の底に落ちながら,決して戦意を失わず復活を遂げた男だ。著者がその男に会いに行くと,相場師はすでに引退していて,トロフィーかなにかが飾ってある応接間のソファーで,懐かしそうに自慢話をする。それを聞きながら沢木耕太郎はつぶやく。「無惨だ。老いとはかくも無惨なものか」
 中内さんについての俺の知識はせいぜい新聞や本から得た事柄だけなのだが,毛沢東の言葉を借りて流通革命を呼号したという若き日の姿と,経営陣から逐われながら「創業者にふさわしい処遇」を求める老人の姿とでは,あまりにギャップが大きすぎて,なにか宿命的な悲劇が演じられているのを垣間見たような気がしたのだった。

 これは不思議に印象に残る出来事で,そのあとも何度か思い出すことがあったのだが,時間が経つうちに,次第にちがった形で考えるようになった。うまく整理できないのだが,たとえて云えばこういうことだ。
 ある朝目覚めたら,自分が中内功であることに気がついた,とする。かつては栄華を極めたものだが,どういうわけか途中から道を誤り,会社は傾き,手塩に掛けた自分の会社の経営からも,このたび逐われることとなった。
 それはもちろん,言い尽くせないほどに悲しく,残念だ。自分の一度きりの人生を賭けた,流通革命という夢は,ついに果たせないまま終わってしまう。これからの残り少ない日々を,俺は自分の失敗を悔やみながら過ごすことになるだろう。
 その日々を俺は耐え抜かなければならない。いわば,新しい闘いのはじまりだ。そのためには万全な準備を払っておきたい。ついては,名誉職でいいからなにか肩書が欲しいところだ。社用車も手放せない。本社の最上階に広い部屋も欲しいし秘書も欲しい。俺が作った会社なんだから,そのくらい認めさせよう。
 見ようによっては,大変に潔くない,無惨な姿だ。しかしもし中内功が,私は潔く全ての職を離れ私財を提供し以後隠棲しますと云ったとしたら,その中内功は,ダイエーを去りながら実はダイエーを去らず,いわば過去に生きているのではないかと思う。新しいいま,新しいここに生きようとしている人に対して,何をもって無惨ということができるのか。

 中内功さんは先月亡くなったが,訃報記事によれば,経営の失敗を悔いることはあっても意気は盛んで,八十を超えて料理学校に通い,運転免許を取ったそうである。
 うまく年を取るということは美しく退場することだ,と俺は思っていた。二十代の沢木さんもそう思っていたのではないかと思う。沢木耕太郎の若い頃の文章が俺はいまでも好きだ。でも,あの頃のように身体中で共感することはもうないだろう。沢木さんも,五十を超えた今ならきっと,相場師を無惨だとは書かないのではないかと思う。

雑記 - なにをもって無惨というか

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