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2006年1月17日 (火)
「野宿者襲撃」論
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生田 武志 / 人文書院 / 2005-12
釜ヶ崎でホームレス支援活動をやっている人が書いた本。ちょっとわかりにくいところもあるけど,良い本だと思った。
90年の西成暴動のとき,投石する人のなかに10代の少年が混じっていたんだそうで,その彼らとの連帯を築き得なかったことが悔やまれる由。「いまぼくたちが中学・高校で『野宿者問題の授業』をやっているのは,すくなくともぼくにとっては『釜ヶ崎についての内容と,いわば連帯の呼びかけのビラ』を10年遅れで撒く行為なのである」のだそうだ。
「ニート」って言うな! (光文社新書)
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本田 由紀,内藤 朝雄,後藤 和智 / 光文社 / 2006-01-17
著者三人の分担執筆。ニート概念は有用でないし,雇用側の問題を隠してしまうという弊害がある。必要なのは労働市場の再設計だ(本田)。ニート問題に代表される青少年へのネガティブ・キャンペーンはある種の全体主義だ(とかなんとかそういう話。内藤)。ニートにまつわる言説の整理と分析(後藤)。小杉礼子や玄田有史がばんばん批判されていて,本田由紀って人は労働研究機構の出身じゃないの?それって同僚批判じゃん,とびっくり。
なんといってもこの本のハイライトは,後藤さんという東北大の学生が書いた章。サンデー毎日とアエラと読売ウィークリーでどうちがうかとか,朝日の「声」欄投書における年齢別ニート観とか。すごく面白かった。
とはいえ,読んでいてちょっと複雑な気分にもなった。
たとえば,「子どもの学力が低いのはその子の親のせいだ」という言い方が,もしも教育政策の文脈でまかり通るならば,それはまさに犯罪的だ。そのいっぽうで,たとえば学校の先生がPTAの会合で「みなさん,お子さんに学力を身につけさせるためにこれこれこういう配慮をしてくださいな」と言うとしたら,それにはそれなりの意義がある。その先生を捕まえて,あなたは学力差の背後にある諸問題を個人化することによって社会構造の変革から人々の目をそらせているんですよ,なんて糾弾しても仕方がない。
ニート対策を巡る議論にも,社会構造に由来する問題を個人化・脱社会化してしまうという弊害が,なるほど確かにあるだろう。しかし,いま「うちの子がよう働かんような人になったらどないしよう」と焦る親御さんを目の前にしたら(焦らせたのは正当かという問題は横に置くとして),なにか個人レベルで実現可能な,多少なりとも役に立ちそうな方策について語らねばならんだろうなあ,と思う。そういう文脈では,たとえば中学生の職業体験をお薦めするというのは,まともな種類の議論だといえるのではなかろうか。
ノンフィクション(-2010) - 読了:01/17まで (NF)