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2006年4月27日 (木)
コミック誌を定期的に買い込む割にはあまり熱心に読んでいないが,いま「モーニング」に連載中の「東京トイボックス」はちょっと気に入ってしまって,過去の掲載号を繰り返し眺めたりしている。零細ソフトハウスを舞台に描かれる夢と現実の葛藤,などという設定はほかにもありそうだし,連載が進むにつれてちょっと絵柄が荒れてきているし...と,ケチをつけはじめるときりがないけれど,それでもなんだか次号が気になって仕方がない。好きになるときはそうしたものです。
メジャーな青年誌での連載だから,ちゃんと魅力的な女性とロマンティックなエピソードが用意されているのだが(大手町のキャリアレディ・月山さんが上司の不興を買って秋葉原へと放逐され...というのが導入部),話の本筋はそちらではなく,どうやら三十過ぎの独身男・太陽くんが主人公であるようだ。天川太陽は零細ゲーム開発会社を率いる社長だが,無精髭にジャージ姿,風呂にもろくに入らず,オノデン向かいの雑居ビルのオフィスに寝泊まりし,ポテトチップスを箸でつまみつつ(良いディテールだ)日夜ディスプレイに向かっている。ゲームを作らせたら誰にも負けないという自負はあるものの,心ならずも細かい下請け仕事で糊口をしのぐ日々である。
久々に舞い込んだゲーム制作の仕事に,太陽以下スタッフたちは寝食を抛ってのめり込むが,会社を取り巻く状況は冷酷で,親会社から出向してきた月山さんは,クリエーターの論理とビジネスの論理の板挟みになる。その対立は抜き差しならない状況に至り,太陽はついつい投げやりな嫌味を口にしてしまう(あまり器の大きな男ではないのである)。太陽のアップからカメラが反転すると,月山さんはその瞬間,なんだかつまらなそうな顔をして(ここのところ,実に上手い。なるほど,こういうとき人はつまらなそうな表情を見せるものだ),それから太陽の頬を叩く。私がなにをしようが,周りがなにをいおうが,あなたは(と,涙と一緒にお国訛りが出て)「あんだは,ゲームのことだけ考えねば!」
この台詞はもう一度登場する。ゲームは完成し,月山さんは大手町へと去り,再び鬱屈した日常が戻ってくる。いつかきっと作ってみせると誓っていた作品は,商標権が大手企業に移り,手の届かないところへと去ってしまった。さらに,クールでシニカルな長年の相棒・七海さんから,会社を辞めると告げられる。あろうことか,その大手企業の開発チームに引き抜かれたのである。太陽は顔の前で手を組んだまましばらく動けないが,ようやく口を開く。誰だか知らない奴が作るよりは,ずっと一緒にやってきた奴が作る方がいいよな。
七海さんは目を伏せて立ち去りかけ,不意にきびすを返し,ポケットに手を突っ込んだまま太陽に口づけする。呆然とする太陽の耳元で,七海さんがそっとささやくのは,月山さんの口真似だ。「あんだはゲームのことだけ考えねば」
暇人の常として,もし天川太陽が俺だったら,などと考えてしまう。いや,別にショートカットのOLに頬を叩かれたり,眼鏡の美女に不意にキスされたりしたいわけではない(と,思う)。ぼんやりと考えるのは,こういうことである。もしも俺が誰かに「あんだは××のことだけ考えねば」と叱られるとしたら,××とはいったいなんだろう?
これはなかなか難しい。平凡なサラリーマンに向かって「あんだは仕事のことだけ考えねば!」というのは,励ましというより嫌がらせであろう。もうちょっと限定して考えると,どうやら××に入るタイプの職種とそうでないタイプの職種があるようだ。たとえば学校の先生に向かって「あんだは子どもたちのことだけ考えねば!」というのは,これはありそうだ。いっぽう,「あんだはマーケティング・リサーチのことだけ考えねば!」というのは,なんともシュールな発言で,いったいどんな状況だか見当もつかない。「あんだは心理学のことだけ考えねば!」というのは? まあ今そんなことを云われても困るけど,それはそれでちょっと筋違いだという気がする。よくわからないのだが,学問分野のなかには「そのことだけを考えていてはいけない分野」があって,知覚や数理の研究を別にすれば,心理学もまたそういう分野だ,という気がする。
運良く職種に恵まれたとしても,さらなる障害が待っている。月山さんや七海さんは,太陽の未練がましいダメ男ぶりに呆れ怒りながらも,太陽の才能を信じているのである。正確にいえば,太陽が究極的には自分の才能を信じているということ,太陽が自らを恃むその力を,彼女たちは信じている。だからこそ,立ちすくむ太陽くんを彼女たちは叱咤するのである。
つくづく思うに,自負というのは大変危険な代物である。カードをろくに見ないでひたすらレイズしつづけるポーカーのようなものだ。往々にして手元の札は安く,勝率は低く,賭け金を吊り上げていく興奮に呑み込まれるままに多くを失う。「自分の可能性を信じろ」云々の説教は世に溢れているが,どれもまともな物言いには聞こえない。
というわけで,俺が常日頃考えているのは,いかに安い賭け金で済ませるか,いかに自らを信じることなく過ごすか,ということである。結局のところ,誰であれ自己認識というものはどこかしら歪んだものなのかもしれないし,そもそも人生なりポーカーなりに求められているのは合理的な判断ではないのかもしれない。だけど,せいぜい無理をせず,せいぜいカードを冷静に眺め,大勝ちはしないが大損もしない,そういう方略はありうるだろうし,俺はそっちを選びたいと思う。
しかしその一方で,心のどこかから,かすかに囁く声がある。あるひとつの何かについてだけ,そのことだけを考えていられたら,ただその何かだけに没頭していられたら。そうすることが正しいと信じることができたなら。そんな何かがもう二度と訪れないことは分かっているのに,その囁きは消えない。
俺は天川太陽くんになりたいとは思わない。でも,逡巡し苦闘しつつも自分の才能を信じ続けようとする太陽くんに対して感じるのは,かすかな憧憬であるといって良い。だから,「あんだはゲームのことだけ考えねば」と叱咤される太陽くんの姿に,俺は身体がほんの少しざわめくのを感じ,遠くからの囁きにじっと耳を澄ます。
雑記 - ゲームのことだけ考えねば