elsur.jpn.org >

« 読了:11/25まで (F) | メイン | 読了:11/26まで (C) »

2006年11月26日 (日)

Bookcover 歯車・至福千年 (講談社文芸文庫) [a]
堀田 善衞 / 講談社 / 2003-01-09
昼休みにちびちび読んで,ようやく読了。
 14才の頃,浴びるように小説を読んだ時期があって,その時一番心に残ったのが,堀田善衛の「広場の孤独」だった。そんなふうに妙な背伸びをしなければならなかったのは,別に早熟だったからではなく,自分がおかれている状況をきちんとした言葉で説明してくれる中学生向けの小説が見当たらなかったからで,たとえば数年前にベストセラーになった小説「バトル・ロワイヤル」がもしあの時期に出ていたら,中学生の俺はきっと熱狂していただろうと思う。「広場の孤独」に登場する,朝鮮戦争を前にした若い知識人の苦悩は,もちろん子どもにはよく分からない代物だったけれども,状況からいくら逃げだそうとしても果たせず,手を汚さない方法がどこにもない,その一点で,主人公の姿はまるで自分の姿であるように思われたのであった。つくづく思うのだが,もういちど中学生をやれといわれたら,すぐに高いところから飛び降ります。
 で,年を食ってから「広場の孤独」を読み直してびっくりしたのだが,これはなんというか,実にセンティメンタルな小説なのである。要するに,ああ日本は資本主義的発展を遂げていくよ,僕は亡命者ではいられないや,どうしようどうしよう,困ったな困ったな,という小説である。その時代のなかではとても誠実な小説だったのだろうけれども,数十年後に読んでアクチュアルであるとは言い難い。なにを考えておったのか中学生の俺は,と呆れたものである。
 この文庫本に入っている「歯車」は,1951年,「広場の孤独」と同じ年に発表されたもので,肝心なところで感傷に流れていくところもそっくりである。「広場の孤独」を読み直した時の気恥ずかしさを思い出したが,ことによるといまこのときに,この小説に痺れ,幾ばくかの救いを得ている子どもが,どこかにいるかもしれない。また,ことによると十年後には,俺がいま面白がっている小説もつまらなく思えるのかもしれない。結局,本とはそういうものなのだろう。

フィクション - 読了:11/26まで (F)

rebuilt: 2020年11月16日 23:06
validate this page