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2007年3月28日 (水)

Bookcover ロング・グッドバイ [a]
レイモンド・チャンドラー / 早川書房 / 2007-03-08
このたび出た新訳。つり革につかまって揺られながら読了。
 旧訳(清水俊二)を読んだのはいつだっけ? もう十年以上も昔の話だ。いま「長いお別れ」を読んでいるんだ,と電話の相手にふと話したら,ああ「ギムレットには早すぎる」でしょう,と返されたのを覚えている。
 この人の小説にはなにかすごく歪んだところがあるような気がして,そこに魅力を感じる面もあるし,どうにもついて行けないと感じる面もある。その印象は今回読み直してみても変わらなかった。この小説でいうと(いま手元にないのでうろ覚えだが),作家が死んだ日の夜,ようやく帰宅したマーロウが一杯飲んで寝る場面で,都会のさまざまな情景を描写した非常に感傷的な文章が一パラグラフ挿入される。なんだか唐突な印象を受ける。ああいうところが,俺にはどうもよくわからない。
 今回の発見は,主人公のマーロウにもちょっと気味の悪いところがある,という点であった。あなたはなにを考えておるのですか,というような薄気味悪さがある。真夜中にコンビニに行ったらカウンターの内側に店員が座っていて,品出しをするでも帳面をつけるでもなく,無人の店内を無表情に眺めて微動だにしない,というような感じである。うーん。小説の仕組みとして必然性があるのかもしれないけれども,個人的には,もう少し気の抜けたところがあるほうが助かる。
 訳者の村上春樹さんが巻末で,チャンドラーは脇道に逸れるところが面白い,という意味のことを書いていて,そうそうそうだよね,となんだか嬉しかった。正直なところ,チャンドラーの小説で記憶に残っているのは,三人の医者を訪ねるところだったり,「プレイバック」での老人の長演説だったり,「高い窓」で娘を実家に送り届けるあたりだったりで,本筋と関係のない場面だけが,明け方の奇妙な夢のように,脈絡も無くふと思い出されるのである。

フィクション - 読了:03/28まで (F)

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