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2007年8月11日 (土)

 集中講義も無事に最終日を迎えることができた。みなさまお疲れさまでした。

 大学の講義の不思議なところは,品質管理のための仕組みがほとんど存在しない点である。教員個人の能力についてのcertificationの仕組みはあるけれども,講義内容については誰もチェックしていないといってよい。これはおかしいんじゃないか,大学という場所は合理性から切り離された現代の秘境で,こんなの外の世界では通用しないんじゃないか,などと思ったこともある。もっとも,いまは全くそう思わないけれども。どんな組織にもなにかしら理不尽な側面があるものらしい。
 ともあれ,講義のクオリティはひとえに講義担当者に懸かっていて,ここが面白い点であり,また怖ろしい点でもある。俺のような若僧が過去を振り返ってもしかたがないのだが,これまで担当させてもらった仕事を思い出すに,今年は実によくやった!と自画自賛したくなる講義もあれば,思い出すだけで絶叫して窓からジャンプしたくなるような悲惨な講義もあった。ところが,前者に対しても見返りはないし,後者に対しても罰はない。これはコワイ。だんだん事の良し悪しがわからなくなってきてしまう。

 あまり認めたくはないのだけれど,研究から逃げ出して会社に拾っていただいたその直前の数年間は,あらゆる事柄に徐々に熱意を失いつつある有り様で,担当している講義の準備もだんだんと疎かになっていたように思う。その時その時には山ほど言い訳があったけれども,要するに,やる気を失っていたのである。
 大学院に入ったばかりの頃,とある定年間際の先生の実験実習のアシスタントについたら,その内容があまりにイイカゲンなもので驚き呆れ,いかに功なり名を為してもこれではダメだ,俺はこんな年寄りにはならんぞ,と秘かに誓ったことがあった。ところがふと気が付くと,自分もまた講義の繰り返しに倦み,だんだんとイイカゲンになりつつあるのである。しかも功なり名を為す前に。これには参った。
 当時一緒に仕事をしてくれていた友人のKさんが,このあいだブログでその頃のことを書いていて,冷や汗が出た。大学に向かうバスのなかで半泣きになって準備するとか,ああ,思い出すだけで緊張する。当時の学生さんたちには謝るしかない。いろいろ問題を抱えていたのです,能力面でも,それ以外でも。

 最近になって,細々と続けている非常勤の準備やら,勤務先でのレクチャーの資料作りやらのために,以前の講義資料を引っ張り出してくることがあるのだが,そのたびに,もう一度同じ講義をやらせてもらったら,今度はもっとましな内容にできるのに,と口惜しく思う(まあ,気のせいかもしれないけど)。皮肉なものだ。いつもいつも後悔ばかりで,どうにも間の悪い人生である。

雑記 - ああ夏休み・代理戦争

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