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2008年2月17日 (日)

一般企業の末席に名を連ねて地道にお勤めしている身の上だが,なにしろぼんやり文献を読んでいたりするもので,事情を知らない他の部署の人に「いったいどういう仕事をしてるんだこいつは」と不思議がられたりする始末である。というわけで,別に大した仕事はしていないのだが,今週はそれなりにバタバタ忙しくて,ちょっぴりこたえた。朝から晩まで共分散構造分析のことばかり考えていると,mplusのシンタクスを夢に見るくらいでは済まなくなってきて,定食屋でぼんやり箸をつけていた焼魚と付け合わせの油揚げの両方に焦げ目がついているのをみつけて,ああどうしよう,2変数の背後に「焼き過ぎ」因子があるとみなそうか,それとも誤差に相関があると考えようか,なんて思ってしまったりする。我ながらあほらしい。
別に趣味でも学術研究でもないので,ちょっとリフレッシュしたいとは思うのだが,いざ休みの日になってしまうと,もう布団から出られない。もし布団への愛を競うスポーツがあったら,県大会くらいは優勝できると思う。気分転換といっても,せいぜい布団にうつぶせになったまま文庫本をめくる程度である。「小僧の神様・城の崎にて」新潮文庫版は税別438円。なんという安上がりな趣味。なんというつまらない男。

 志賀直哉の短編集はこうして時折手に取るのだが,一編一編が時に腑に落ちたり,時にまったく理解できなかったりして,なかなか読み終わらない。特に女性との関係を扱ったものは,当時の価値観を理解できていないせいか,俺の経験不足のせいか,いまいちぴんとこないことが多い。
 この人の「小僧の神様」はとても有名な小説で,俺も中学生の頃に読んだ覚えがある。ブルジョアの男が抱くささやかな困惑と,小僧さんの素直な驚きの対比に,生意気にも「ああ上手いなあ」と感じたものだが,しかし最後に突然作者が登場し,当初予定していた結末は「小僧に対し少し惨酷な気がして来た」。。。と述べるくだりは,いったいなぜ残酷なのかしらん,と首を捻った。いま読み返してみると,とても腑に落ちる。なるほど,それは確かに残酷です。その意味が分からなかった俺は,やはり子どもだったなあ,と思う。
 いっぽう,名文と名高い「城の崎にて」は,中学生の頃にもよく分からなかったし(「蜂とか鼠とかイモリとかが死ぬ話じゃん」),恥ずかしながら今もよくわからない(「せっかくのご当地小説なのに,こんな陰気な内容じゃ観光資源にはならないなあ」)。
 ひょっとすると,このまま年老いていき,ふと「城の崎にて」を読み返し,ああ若い頃は分からなかったが,これは素晴らしい小説だ。。。なんて思う日が来るのだろうか。それが小説の面白いところではあるのだけれど,正直言って,ちょっとうんざりする面もある。もういいって,人生の深みなんて知りたくないって。俺はただ布団のなかで過ごしたいだけなのに。

雑記 - 小僧の神様

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