« 読了:05/24まで (C) | メイン | 読了:05/24まで (NF) »
2009年5月24日 (日)
近衛文麿―教養主義的ポピュリストの悲劇 (岩波現代文庫)
[a]
筒井 清忠 / 岩波書店 / 2009-05-15
なんとなく買ってみたんだけど,本屋の帰りの電車でめくり始めたらこれが面白くて,他の本を中断して読み終えた。予想外のヒット。
いくつかメモしておくと,
- 31年頃,貴族院の改革という政治問題があったのだが,最大会派の「憲法研究会」の会規をめぐって議論が紛糾,当時副議長だった近衛の手腕が問われる事態になる。このとき近衛は,そもそも会派とはなんぞや,というテーマを扱う小委員会を別に設置することで,不毛な改革論議をうやむやに葬ってしまう。見事な手腕だが,「厳しくいえば,これは問題を先送りして一時的に対立・危機を回避させる手法に過ぎず,国内問題のみに通ずる手法であって戦争などの国際問題には通用しにくい手法といわねばならないだろう」。なるほど。逆にいえば,なぜ国内問題だと通用しちゃうのか,というところが大事だと思う。
- 大正デモクラシー期の近衛は平和主義者だった。満州事変後の近衛は陸軍に近い強硬論者だった。風見鶏のように見えるが,その背後には,華族は大衆の意向に逆らってはいけないという信念があった。近衛は確信的ポピュリストだったのである。また権力論的にいっても,「当時の政治権力に実態的な根を持っていない知識人政治家[...]が,政治指導者たろうとすれば[...]ある種のポピュリズムが必然化するしかなかった」。陸軍を近づけたのも,強硬論に同調したからではなく,強硬論が国民の間でいずれ力を持つ運命にあると見越し,先手を打って政治のヘゲモニーを奪い返そうとしたからであった。「もとより,これも強硬論に押された議論であって,先手を打つということがもうヘゲモニーを握られているということであり,先手を打てば政治家に主導権が戻ってくる保証などどこにもありはしないのである。しかし『国民的運命』というところに近衛のこの種の言動を理解する鍵があるのであって[...] 『国民』を尊重する政治家ほど国民多数の強硬論には反対できないという民主主義の逆説が民主主義者を苦しめ始めていたのである」
- 近衛は国民からスター級の人気を集めた。「それは後の『皇室アルバム』的なものの政治化なのであった」。知識人たちもまた近衛に強い共感と支持を寄せた。この点に関しては近衛のほうも印象操作をしたのだそうで,たとえば訪米する際,当時の新進学者である帝大の蝋山政道教授(戦後に民社党のイデオローグとなった政治学者)と,わざわざ一緒に船に乗ったりする。これが帝大生の見送りにつながり,知的権威がさらにアップする,ということなのだそうである。ううむ,そういうものか。想像もつかないなあ。
- 南京占領後,国民党政府との和平が探られるが,広田外相をはじめ政府側はむしろ交渉を打ち切ろうとし(国民の支持を失わないため利権を求めていたから),いっぽう軍部は早期終結を求めた(対ソ戦を想定していたから)。参謀本部は統帥権独立を盾にとって,首相の上奏よりも先に参謀総長の上奏を手配しようとするが,天皇に断られてしまい,和平案は流れる。時代は下って東条内閣の時,東条を批判する者は逮捕されたり自決に追い込まれたりで,反東条派は身動きがとれない。転機は東条が参謀総長を兼任したときに訪れた。統帥権独立を盾とした東条批判が可能になったのである。このように,統帥権独立の不徹底が泥沼の戦争を招き,統帥権独立が軍部支配を倒す制度的根幹となった,のだそうである。へえー。
日本近現代史 - 読了:05/24まで (CH)