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2009年7月20日 (月)
臨済録 (岩波文庫)
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入矢 義高 / 岩波書店 / 1989-01-17
本屋でめくっていて,なぜか突然読んでみたくなった本。
臨済という人は唐末期の禅僧,この本は弟子がまとめた語録。唐末期というのは日本でいえば,えーと,平安時代なんだそうで,いっぽう日本の禅宗の一派・臨済宗は鎌倉時代からだから,ずいぶん間があるわけだな。
臨済和尚はちょっとしたことですぐに一喝し,棒で打ち,たまに棒で打たれると即座に反撃に転じ,教えを乞うために訪ねたえらいお坊さんに罵倒されると,その坊さんの脇腹に連続パンチを食らわせる。あっけに取られてしまった。いったいどんな暴力坊主だ。それとも,棒で打つというのは象徴的な行為に過ぎず,たいして痛くないのか。さっぱりわからん。
というわけで,俺はきっと内容を全く理解できていないのだけれど,それでも大変面白かった。以下,印象に残った箇所を抜き書き:
「君たちが,もし聖なるものを愛したとしても,聖とは聖という名に過ぎない。修行者の中には五台山に文殊を志向する連中がいるが[五台山とは文殊菩薩の霊場として知られた山だそうだ],すでに誤っている。五台山に文殊はいない。君たち,文殊に会いたいと思うか。今わしの面前で躍動しており,終始一貫して,一切処にためらうことのない君たち自身,それこそが生きた文殊なのだ。君たちの一念の,差別の世界を超えた光こそが,一切処にあって普賢である。君たちの一念が,もともと自らを解放し得ていて,いたるところで解脱を全うしていること,それが観音の三昧境だ」
「君たちが祖仏と同じでありたいと思うならば,こう見究めさえすればよい。思いまどう必要はない。君たちの心と心が異ならぬこと,それを活きた祖師というのだ。もし異なった心を生じると,心の本体とその現れとが別々になる」
(心と心が異ならぬところとはどういうところか,と問われ)「君がそれを問おうとしたとたんに,もう異なってしまい,根本とその現れとが分裂してしまった。[...]世間のものも超世間のものも,すべて実体はなく,また生起するはずのものでもない。ただ仮の名があるだけだ。しかもその仮の名も空である。[...]一切の仏典はすべて不浄を拭う反古紙だ。仏とは我々と同じ空蝉であり,祖師とは年老いた僧侶にすぎない。[...]君たちがもし仏を求めたら,仏という魔のとりこになり,もし祖を求めたら,祖という魔に縛られる。君たちがなにか求めるものがあれば苦しみになるばかりだ」
「諸君,まともな見地を得ようと思うならば,人に惑わされてはならぬ。内においても外においても,逢ったものはすぐ殺せ。仏に逢えば仏を殺し,祖師に逢えば祖師を殺し,羅漢に逢ったら羅漢を殺し,父母に逢ったら父母を殺し,親類に逢ったら親類を殺し,そうして始めて解脱することができ,なにものにも束縛されず,自在に突き抜けた生き方ができるのだ」
人物ノンフィクション〈2〉表現者の航跡―後藤正治ノンフィクション集 (岩波現代文庫)
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後藤 正治 / 岩波書店 / 2009-06-16
「アエラ」などに載った人物記をまとめたもの。
これまでに読んだこの著者の本のなかで一番つまんなかったが,それでも北方謙三の章はちょっと面白かった。ハードボイルド小説を量産し,カメラに向かってポーズを取る,いささか好ましからぬ流行作家,という印象しかなかったが,小説のイメージを損なわないために自己演出している側面があるとのこと。
「北方に長いインタビューをしたとき,途中で私は気がついた。自身の著作について,とくに歴史小説についてそうであったが,筋書きを説明しつつ語る。インタビュアーがその作品を読んでいないという前提で話すのだ。この人は苦労人だと思った」 なるほど。。。
サルコジ―マーケティングで政治を変えた大統領 (新潮選書)
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国末 憲人 / 新潮社 / 2009-05
フランスのサルコジ大統領について批判的に紹介した本。著者は全国紙の記者。面白かったし,勉強になりましたが。。。
著者によれば,サルコジさんはブランディングに変わる新しいマーケティング手法「ストーリーテリング」を活用している政治家だ。いっぽう「ストーリーテリングは,政治学や経営学の教科書がまともに扱うような確固たる理論とは言い難い」「そのような発想が,一国の指導者の統治法として堂々とまかり通っている」「サルコジは,そのような現代社会の怪しさと不透明感を象徴する存在でもあるのだ」
この著者は,一国の指導者の統治たるもの,教科書に載っているような確固たる理論に基づくべきだ,と主張したいのだろうか? それもそれで変な話だ。理論は実践を導くこともあれば,実践から導かれることもあるだろう。むしろこう言い換えるのはどうだろう:ストーリーテリングは確固たる理論とは言い難い。そのような発想が,この本のなかでは,現代政治の分析枠組みとして堂々とまかり通っている。この本はそのような現代社会の怪しさと不透明感を象徴する存在だ。
すぐわかる日本の仏教美術―彫刻・絵画・工芸・建築
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守屋 正彦 / 東京美術 / 2003-11
全頁カラーの入門書。法隆寺に行ってみたくなった。
この本は,先日見に行った東京国際ブックフェアで衝動買いしたもの。ああいうところにいくと,お祭り気分に浮かれてしまい,普段ならぜったい買わないこういう本を,なぜか買っちゃうんだよなあ。
ウェブはバカと暇人のもの (光文社新書)
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中川淳一郎 / 光文社 / 2009-04-17
著者はテレビ誌を経てニュースサイト編集者という人。内容はタイトル通りで,特に付け加えることがない。
前提として,「ネットの集合知が社会を変える」といったポジティブな未来像を語る人々がいて,この本はそのアンチテーゼというか,解毒剤として自らを位置づけているものだから,本家を知らない人にとっては,この本の意味はないだろう。俺はまさに本家のほうを知らないので(梅田望夫のベストセラーも読んでないし),この本に対しては共感も反発も感じないのだけれど,意図的にレベルの違う話を混在させているような,筋の悪いアジテーションであるような気がして仕方がない。「ブログ論壇の誕生」云々という話をしているときの「インターネット」と,「ネットで流行るのは結局『テレビネタ』」と突き放すときの「インターネット」では,指しているものがちがうのではないかしらん?
2011年新聞・テレビ消滅 (文春新書)
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佐々木 俊尚 / 文藝春秋 / 2009-07
テレワーク―「未来型労働」の現実 (岩波新書)
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佐藤 彰男 / 岩波書店 / 2008-05-20
ノンフィクション(-2010) - 読了:07/20まで (NF)