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2010年1月18日 (月)
こないだNYT Magazineでたまたま読んだんだけど,こんな実験があるのだそうだ。被験者を他の被験者(実はサクラ)と同室にする。サクラは被験者に,実は私は精神疾患にかかったことがあるんです,「子どものころに起きた事のせいで」(心理社会的説明),ないし「生化学的な理由で」(疾病的説明)...と自己紹介する。本課題は,サクラがなにかの課題を行い,間違えると被験者がサクラに電気ショックを与える,というもの(有名なミルグラムのパラダイムであろう。いまどきこんなのが倫理基準をパスするとは知らなかった)。その結果,心理社会条件よりも疾病条件のほうで,被験者はサクラに強い電気ショックを与えちゃうんだそうである。Sheila Mehtaという人の研究だそうだ。入手できないけど,おそらく元論文はこれ (ま,別に手に入れても読みませんけどね)。
精神疾患への社会的差別をなくすために,それが他の病気とおなじように生化学的な病気であることが強調されてきたわけだけど,むやみにそうするのもいかがなものか,という主旨の研究だと思う。ここで典型的な精神疾患として念頭にあるのは,おそらく統合失調症だろう。だからこれはただの連想ゲームに過ぎないんだけど,どうしても,もっと身近な問題と結びつけて考えてしまう。うつ病とか。
たとえば職場のうつ病の問題でいえば,なぜ発症したかという点についての周囲の理解のありかたにはたくさんの可能性がある。「本人の素質のせいだ」「上司/部下のせいだ」「会社の雰囲気のせいだ」「労働時間の長さのせいだ」「運のせいだ」云々。そうした理解のありかたが,復職のプロセスに強く関わってくるのではないかしらん。
いやもちろん,関係者が腹の底でどう考えていようがかまわない,重要なのはサポートそのものだ,という視点も重要であろう。とはいえ実際には,周囲の人々の原因帰属のありかたが,組織の対応を大きく左右するにちがいない。営業部の山田さんがうつで休職したとして,山田さんの復職にあたっては,人事部がつくったマニュアルも大事だけど,営業部のみなさんが社会的に構成する「山田さんの休職を巡る物語」も大事なんじゃないか,と思うわけである。
すごく極端にいえば。。。関係者一同が少しでもハッピーになれるような物語を,我々は選択する必要があるのではないか? もしかするとその物語は,専門家が聞いたら鼻で笑うような,ごく底の浅い,ナンセンスなものであってもかまわないんじゃないか。現象についての正しい理解と,我々が選ぶべき有効な物語とは異なるのではないか。。。最近ふとそんな思いが頭をよぎることがあるのだけれど,これはさすがにシニカルに過ぎるかもしれない。
ぼんやり考えていても埒があかないなあ。世の中に心理学者はとてもたくさんいるから,こういう問題もきっとどなたか調べておられるであろう。まあいいや,寝よう。
雑記:心理 - 心の病気の原因は何だと考えるのが都合が良いか