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2012年8月13日 (月)
井上ひさし全芝居 (その3)
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井上 ひさし / 新潮社 / 1984-07
しばらく前から,一編づつ読み進めていた本。文庫本10冊にもなろうかという分量で,読み終えていささかほっとしている。
井上ひさしさんが残した膨大な戯曲作品のうち,79年から84年までの10本を収録。すなわち,著者の最高傑作「イーハトーボの劇列車」(これが最高傑作でないと困る。こんなのを一人の人が何本も書くのは人倫に反する) だけではなく,その前後に相次いで発表されたいずれも傑作の誉れ高い評伝劇「しみじみ日本・乃木大将」「小林一茶」「芭蕉通夜船」「頭痛肩こり樋口一葉」,そしてロングラン作品「化粧」が収録されている。ついでにいえば,この時期に著者はベストセラー小説「吉里吉里人」を発表し,劇団こまつ座を結成している。化け物である。
「しみじみ日本・乃木大将」は,乃木とその妻の自決の日,乃木の愛馬たちの前足たちと後足たちが演じる劇中劇のかたちをとっているのだが(やっぱり化け物だ。なんでそんなことを思いつくか),乃木に対する明治天皇の台詞に,こんな印象的なくだりがある。
これからも武人の型を演じつづけてほしい。天皇に対して軍人たるものはどのような感情を持つべきであるか,その型を演じつづけてほしい。乃木,われわれの,この明治という時代は,さまざまな場所で,さまざまな人々が,忠臣や,篤農や,節婦や,孝子などの型を演じ,その型を完成させ,周囲の手本たらんとつとめる時代なのだ。国民に型を示し,そのうちのひとつを選ばせる。これが国家というものの仕事なのだ
というわけで,乃木とその妻は,自らが演じはじめた型を演じ続けるために命を絶つ。
明治大帝のこの台詞は,明治日本に対する井上ひさしさんのひとつの洞察を示していると思うのだけれど,それは日本の近代に固有の現象なのかしらん,それとも,さまざまな社会が普遍的に通過する経験なのかしらん。
いやいや,私たちは決して通過などしていないのかもしれない。先日も誰かがどこかで,自己決定権を持つ知的労働者ならば24時間働いて当然である,やれブラック企業だなんだと労働環境にケチをつける奴は所詮は定型的労働者だ。。。というようなことを誇り高く宣言していて,興味深かった。なるほど。この平成という時代だって,さまざまな場所でさまざまな人々が,誰かが用意した型のひとつを選び,それを演じ,その型を磨き上げている。
フィクション - 読了:「井上ひさし全芝居 その三」