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2012年12月25日 (火)
昭和戦前期の政党政治―二大政党制はなぜ挫折したのか (ちくま新書)
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筒井 清忠 / 筑摩書房 / 2012-10
1924年の加藤高明内閣から五・一五事件までの8年間つづいた,戦前の政党政治期について述べる本。案の定,とても面白くて一気読み。
特に興味深かったところをメモしておくと:
[1927年,若槻]内閣崩壊の実相は,朴烈怪写真事件で追い詰められて妥協や多数派工作を図っていたところに,金融恐慌が発生して最後のKOパンチをくらったということであった。すなわち問題は,普通選挙を控え,政策的マターよりも大衆シンボル的マターの重要性が高まっていたことを若槻が十分理解していなかったことのほうにあるのである。「劇場型政治」への無理解が問題なのであった。[...]ロンドン条約時の「統帥権干犯問題」を取り上げて,政党人自らが自分の首を絞めたと主張する人は多く,それは間違いではない。しかし,政治シンボルの操作が最も重要な政治課題となる大衆デモクラシー状況への洞察なしに,そのことだけを問題にしても,現代に起きる反省には結びつかないだろう。[...] 健全な自由民主主義的議会政治(それは政党政治である)の発達を望む者は「劇場型政治」を忌避するばかりでなく,それへの対応に十分な配慮をしておかなければ若槻と同じ運命を辿ることになろう。
多くの先進国がそうであるように,今日,自由で民主主義的な政治とは議会政治であり,議会政治とは政党政治である。政党政治は政党が自らの政策を実現するために,それを選挙民に訴え,反対党と政争を行いまた合従連衡を行う政治である。それは自派の政策を実現するために,他派と不可避的に闘争・競争を行う。ところが,日本社会ではこれらをすべて「党利党略」として忌避し批判する傾向が強いのである。[...] そのことにできるだけ寛容でなければ政党政治は維持できない。この観点が未成熟なので,日本ではメディアによる「既成政党批判」と「支持政党なし」が多数という世論調査結果が繰り返され,政党政治を充実させることよりも政党政治を補完することのほうが先に考えられるというような奇妙な現象が繰り広げられるのである。それが結局「軍部」「官僚」「警察」「[近衛文麿]新体制」などの「第三極」を導き出したことは本書が再三叙述したことであった。
なるほど...
日本近現代史 - 読了:「昭和戦前期の政党政治」