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2013年6月14日 (金)
久野愛 (2009) ベティ・クロッカーの表象とアメリカ社会の変遷, アメリカ太平洋研究, 9, 128-140.
モチベーション・リサーチの祖ディヒターについてあれこれ探していてたまたま見つけ、ついつい読みふけってしまった。掲載誌は東大の紀要。著者の修論であろう。
ベティ・クロッカーとは米ゼネラル・ミルズ社のケーキミクスのブランド。このブランドはパッケージの白人女性の肖像で知られていて、このキャラクターの変遷を通じてアメリカ消費文化の変容を辿る。というような意図の文章であった。実はこの話題、2005年に"Finding Betty Crocker: The Secret Life of America's First Lady of Food"という研究書まで出ている模様。えええ、よくもまあそんなテーマで... と面食らったが、こうして書くからにはきっとなにかオリジナルな要素があるのだろう。
想像に難くないが、1921年の登場以来、ベティさんの肖像画は時流に適応して変貌していく(写真を載せないことには話にならないと思うのだが。仕方がないのでwebで画像を探して見比べながら読みました)。50年代には(急速な都市化と核家族化にあわせて) 優しい母親風。60年代はジャッキー・ケネディそっくり。70年代はキャリア・ウーマン。もっとも第二波フェニミズム運動に性差別・人種差別だと訴えられたり、なんだかんだと大変で、実は60年代半ば以降、パッケージに肖像画は載せてなかったのだそうだ。それでも肖像のイメージは広く知られていたというのだから、たいしたものである。ボンカレーの松山容子のようなものかしらん。
著者の意図とは関係ないだろうけど、企業が擬人的なブランド・イメージを構築することの得失についてあれこれ考えさせられた。この論文では、アメリカ近代における消費財ブランドの擬人化されたイメージを、消費者と企業の仲介者として捉えているんだけど、SNS時代のブランド擬人化との違いはなんだろうか。ローソンのあきこちゃんとか...
ゼネラル・ミルズのケーキミクスといえば、消費者心理の専門家ディヒター先生がフロイト的観点から「母親は手間を掛けずに愛を注ぎたいんだから、乾燥卵は抜いて、消費者に卵を自分でいれさせなさい」とアドバイスし、おかげですごく売れた。とか、消費者心理の専門家ディヒター先生がフロイト的観点から「母親にとってケーキ作りとは新しい生命をつくることなのだ」と喝破し、そこで赤ちゃん風のキャラクターをつくったらすごく売れた。とか、そういう成功譚があっちこっちに載っている。いずれも落ちは「すごく売れた」であるところ、マーケティング系の与太話の共通項である。ちょっとできすぎていると思う。どれも元はディヒター本人の自慢話なんじゃないかという気がしてきた。
この論文では、ディヒターは「恐慌期のイメージは戦後の好況にふさわしくない」と肖像画の変更を提言した「心理学者」として登場する。出典は前掲の"Finding Betty Crocker"。ちょっと読んでみたい。
論文:マーケティング - 読了: 久野 (2009) ベティ・クロッカーさんの変遷