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2015年5月 9日 (土)

Barlas, S. (2003) When choices give in to temptations: Explaining the disagreement among importance measures. Orginizational Behavior and Human Decision Processes, 91, 310-321.
 「重要性についての論文をしみじみ読む会」(会員1名)、本年度第5弾。google scholarで引用回数28って、うーん、見なかったことにしようか... と思ったのだが、失礼ながらこれが意外な拾い物であった。
 この論文のキーワードは「重要性についての信念」importance beliefなんだけど、長くて書きにくいので、以下のメモでは「主観的重要性」と略記する。また、観察された意志決定から(重回帰かなんかで)求められた属性の相対的重要性のことを「客観的重要性」と略記する。

 いわく。客観的重要性と主観的重要性とはふつう合致しない。これは人が自分の決定過程について理解していないということの現れだと解釈されてきた[ここでSlovic & Lichtenstein(1971 OBH)を引用]。
 これに対し、主観的重要性と選好を切り離そうという試みもなされてきた。主観的重要性は文化的に学習された規則の表れだとか(Reilly & Doherty, 1992 OBHDP)、課題の認知表象における役割に依存して決まるとか(Pennington & Hastie, 1988 JEP:LMC)、重要性の解釈がコミュニケーション上の目標によって異なるのだとか(Goldstein, Barlas & Beattie, 2001)。こうした試みは散発的で、統一的な理論的枠組みがない。
 本研究ではこう提案する。主観的重要性、それは目標駆動的な知識転移ツールだ。

 ひとは課題に繰り返し接することで課題についての抽象的な知識を構築する。この知識は、未知の選択肢の評価を可能にし、適切な情報の探索をガイドし、選好についての対人的コミュニケーションを促進する。
 この知識のなかに主観的重要性も含まれている。主観的重要性は決定を通じて多彩な機能を果たすので、広範囲な高次目標に、選択そのものよりも強く影響される。また抽象的知識の量は過去経験によっても異なる。従って、決定において観察される相対的重要性と主観的重要性とのずれは、以下の要因に影響される。(1)意思決定者の目標。(2)意思決定者が主観的重要性に従って環境から情報を得ているか。(3)過去の記憶。

 まず目標について。
 通常の意思決定課題では、被験者は属性の束として記述された選択肢を与えられ選択する。このとき、ふつう次のように想定される。まず被験者は選択肢の属性の値を評価する。次にそれらを重要性の信念に従って重みづける。で、それらを結合して選択肢への全体的選好を形成する。[←Fishbeinモデル、というかその俗流版であるBass-Talarzykモデルのことね]
 ここには、決定者は正しく選好するために主観的重要性を形成しているのだ、という暗黙の想定がある。確かにそういう面もある。でも意思決定の目標は目の前の課題の正確な遂行だけではない。課題の因果構造を理解すること自体だって目標のひとつだ。さらに、属性間トレードオフに対する自分の決定を自分と他者に対して正当化するというのも目標のひとつだ。[←深い... Tverskyいうところのreason-based choiceに通じる話だ。Hsee(1995 OBHDP), Jones&Wortman(1973 書籍), Tetlock(1997 in Goldstein&Hogarth(eds.))というのが挙げられている] おそらく決定者は自己イメージの拡張と他者からの承認を促進するような形で属性に主観的重要性を与えるだろう。
 本研究では次の仮説について検討する:合理的な属性は、選択においてよりも重要性判断においてより重視され、誘惑的(tempting)な属性は重要性判断においてよりも選択においてより重視されるだろう。

 つぎに情報収集について。
 次の仮説について検討する:意思決定者は主観的に重要な属性についてより多くの情報を収集する傾向があるだろう。また合理的な属性のほうがより決定正当化に寄与するだろう。従って、合理的な属性のほうがより早くから処理されるだろう。また、決定者が情報のフローを制御している限り、合理的な属性において、客観的重要性と主観的重要性とのずれが小さいだろう[←ここのロジックはいまいちわからない]。

 最後に記憶について。[ここ、よく理解できなかったので逐語訳したが。うーん、やっぱし何言ってんだかよくわからん...]

意思決定者が選択肢の誘惑的側面についての情報を能動的に検索していない場合でさえ、もし決定者が関連する過去経験を持っていたら、[誘惑的属性についての]情報が記憶から検索されるだろう。すでに論じたように、決定者が選択肢についてのより詳細な概念を利用できるようになり、選択肢の評価と情報の探索において重要性についての抽象的な信念に依存しなくなっている場合には、過去の記憶の内容が、重要性の諸指標のあいだの乖離を生みだす主要な原因となるだろう。Loewenstein(1996)が論じたところによれば、誘惑的属性について考慮することにより、ポジティブな経験は頻繁かつ即時的に生じるが、ネガティブな経験はあまり生じないし、即時的に生じることはない。多くの合理的属性についてはその逆が成り立つ。従って、過去の記憶は、誘惑的属性について考慮したことの結果として実際に生じたポジティブな帰結を含むが、合理的属性について考慮しなかったことの結果として生じたネガティブな帰結については含まないものと思われる。結果として、決定における誘惑的属性のインパクトは記憶へのアクセスが促進されたときに増大するだろう。従って本研究の最後の仮説は次のとおりである。先行経験へのアクセスは重要性の諸指標間の乖離を増大させる。

 [まあいいや、ここまでを整理しておこう。理屈はよくわかんないけど、とにかく仮説は3つだ。(1)主観的重要性は合理的属性で高めになり、客観的重要性は誘惑的属性で高くなる。(2)決定のプロセスにおいて、合理的属性のほうが処理のスタートが早く、客観的重要性と主観的重要性のずれが小さい。(3)先行経験にアクセスすると客観的重要性と主観的重要性のずれが大きくなる。]

 というわけで、実験。被験者は学生40名。
 避妊法を選択させる課題[←おっとぉ...]。選択肢は10個: {卵管避妊手術、精管切除、混合経口避妊薬、プロゲスチン単独避妊薬、子宮内避妊器具、コンドーム、ペッサリー/子宮頚部キャップ、フォーム/クリーム/ジェリー、膣外射精、fertility awereness techniques [オギノ式みたいなものだろうか]}。属性は10個、うち5個が合理的属性(病気の予防になるか、とか)、5個が誘惑的属性(使いにくさ、とか)。医師と相談のうえ、各選択肢の属性の値を表す表をつくった。
 要因はふたつ。どちらも被験者間。[おいおい、ってことは1セル10人かよ... コンピュータ実験なのに、しょぼいなあ...]

 課題は4つ。

  1. 選択ないし魅力評価。high control条件では選択肢ペア(総当たりで45ペア)をひとつづつ提示し、好きなだけ情報収集したのちにどちらか選択させたのち、選好の程度を評価。low control条件では表をみせ、各選択肢について魅力評価。
  2. 属性を重要性で順位づけ。
  3. 各属性が選択肢の危険性の指標として役にたつ程度と、喜ばしさ・便利さの指標として役に立す程度を評定。(誘惑的属性と合理的属性の定義が正しいかどうかの操作チェック用)

結果。
 まず対象者ごとに属性の客観的重要性を求める。low control条件では、全体評価に対する回帰のR二乗を客観的重要性とする[←ここ、意味がわからない。もし説明変数10個の重回帰ならば、R二乗ではなく、たとえば投入によるR二乗の増分を使わないといけないし、説明変数はきれいに直交しているわけではないから、変数の投入順序が問題になってしまう。それとも10回単回帰を繰り返しただけ、すなわち単相関の二乗なのだろうか。でも"they were derived from holistic evaluations of the alternatives by means of a regresson analysis"っていっているしなあ...]。high control条件では、ペアのうち選んだ方への選好の強さを目的変数、ペアの属性の値の差を説明変数にした回帰のR二乗を客観的重要性とする[←上と同様の疑問がある]。
 対象者ごとに属性の主観的重要性も求める。こちらは単に重要性の順位。

[ほかに、要因が効いているのは主観的重要性じゃなくて客観的重要性のほうだとか、性差があるとか、いろいろ書いてあるけどパス。書き方がちゅっとわかりにくいよ、これ...]

 考察。いろいろ書いているけど、省略。

 うーん...
 主観的重要性は合理的属性で高めになり、主観的重要性が高い項目はクリックされやすく、クリックさせると主観的重要性に合致した選択がなされやすい、というわけだ。
 この研究、実験だけ見るとあんまり面白くなくて、すごく冷たくいっちゃえば、主観的重要性表明は社会的望ましさバイアスを受ける、情報収集プロセスを顕在化させると情報収集も社会的望ましさバイアスを受ける、よって決定も社会的望ましさバイアスを受ける... という、ごく当たり前の話なんじゃないか、という気もする。情報収集の操作(high/low control)と課題特性(選択/評価)が交絡している点も、なんというか、そんな設計でいいの? という感じだ(考察のところで防衛戦をやっているけど)。
 じゃあ仮説構築までのロジックが面白いかというと、私の頭が悪いだけかもしれないけど、正直なところよく理解できない。すいません。

 私にとってとても面白かったのは、冒頭の課題設定、風呂敷を広げるところであった。
 著者のいうとおり、主観的重要性に関する議論は、それは実際の意思決定を反映しているか?という枠組みになりがちである。私自身そうだ。消費者調査では「Xを買うときになにを重視しますか」というような主観的重要性評定をよく用いるのだけれど、その回答は現実の購買行動や顧客満足における"キードライバー"の特定手段として解釈されるのが普通である。そういう文脈では、じゃあ回帰分析で間接的に推定した重要性とどっちが正しいんだ?とか、やっぱり調査対象者のいうことはあてにならない、アンケートはだめだ、これからはソーシャル・リスニングだ、いや行動経済学だ(←ほんとにこういうことを云う人がいる)... といった、宙に浮いたような話になりがちなのである。
 いやいや、主観的重要性にはもっと積極的な意義があるはずだ。ある人が「Xを買うときにYを重視します」というとき、その発話は消費者を理解する上でなんらかの意味を持つはずではないか。と思うわけだけど、じゃあどんな意味があるの?と訊かれると、ちょっと言葉に詰まる。問題は、主観的重要性判断の心的プロセスについて十分な理論的枠組みがないということである。「主観的判断はバイアスを受ける」という表現自体、プロセスモデルが欠如している現れである(それは回答を真値とバイアスに分解しているに過ぎないわけだから)。
 著者の視点ではこういうことになるだろう。主観的重要性は経験を通じて獲得された抽象的知識の一部である。それは決定プロセス初期の意識的な情報収集を支配し、また決定プロセス後期の正当化にも寄与する。そうそう、こういうのだ。こういう枠組みを考えないといけないんだよな。

 考察に出てきた、ちょっと面白そうな言及をメモ:

論文:マーケティング - 読了:Barlas(2003) 「なにを重視しますか」と実際の重視点が一致しないのはなぜか

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