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2016年8月22日 (月)

Weinberg, M.S., Williams, C.J. (2005) Fecal matters: Habitus, embodiments, and deviance. Social Problems, 52(3), 315-336.
 以前、雑誌のコラムのために身体化認知にまつわる論文を片っ端から集めて分類した際、うず高く積まれた「うっかり入手しちゃったけど関係なさそう」論文の山において、もっとも異彩を放っていた論文。このたび資料を整理してる最中にお手洗いに寄り、個室のドアを閉めたところでふと思い出した。別にいまわざわざ読むこたないんだけど、つい探して手に取り、ついつい読み通してしまった。

 アメリカの学生172人に、ウンコにまつわる経験についてインタビュー&質問紙。排便の音を他人に聴かれたらどんな気がしますかとか、水を流してもブツが流れなかったらどうしますかとか。異性愛志向/同性愛志向の男/女、計4グループに訊きました、というところがミソである。インタビューは逐語録をコーディングして集計。
 インタビューの内容が延々と紹介されているんだけど、途中で眠くなってしまって適当に読み飛ばした。
 結果のまとめ。排便関連事象に関する社会的反応にもっとも敏感なのは異性愛女性。ついで、同性愛男性、同性愛女性、異性愛男性の順。このように、排便のハビトゥスは社会文化的要因に媒介される。ジェンダーも性的アイデンティティも効いている。云々。

 という実証ベースの話が終わって、やおら3pにわたる理論的考察がはじまるところが、なんというか、社会学っぽい。
 近年の社会学では身体に関心が向けられている。そこでは社会構築主義の限界が強調され、身体化という概念を通じて物質的アプローチと構築主義的アプローチとの統合が図られている。
 排便という問題を身体化という概念によって理解することには以下の意義がある。

  1. 排便関連の逸脱が最初に知られる感覚はなにかについて検討することによって、行為が身体化される様子を知ることができる。本研究によれば、視覚(ウンコを他人に見られる)、嗅覚(臭いを嗅がれる)の順で心配度が高い。
  2. 感情を身体化した思考として捉える感情理論において、身体化は重要な役割を果たす。ゴフマンがいうように、感情は個人的感覚と公的モラリティを統合することによって社会的秩序を強化する。本研究は、排便関連の災難によって人が狼狽し、そこから多様なdistancing行動が引き起こされる例を示した。それは社会的問題回避という認知的な行為であるだけでなく、自分の感情への対処という行為でもある。[distancingってなんて訳せばいいのかわからないが、本研究での事例で言うと、いくら水を流しても流れないのでお手洗いから逃げ出してきました、という発言がそれにあたるのだろう]
  3. 本研究では身体境界の裂け目への警戒が異性愛女性において強いことが示された。異性愛女性の身体イメージは女性らしさという文化的概念によって媒介されている。ジェンダーはかくも身体化されており、ハビトゥスは不安、困惑、恥を通じてジェンダーの不公平を強化している...[後略]
  4. ハビトゥスの支配からの意図的無視を示す言説もあって... 異性愛男性は排便ハビトゥスを無視することで力を示し、逆に同性愛男性は身体境界への強い関心によって男らしさヘゲモニーへの抵抗を示す... [略]
  5. 本研究はスティグマ研究と関連していて... 云々云々云々...[もはや読んでません]

 というわけで、身体化という概念は逸脱の社会学へのさらなる貢献をもたらすだろう、とかなんとか...

 正直、かなり早い段階から読み飛ばしモードに入っていたんだけど(すいません)、ゴフマンいうところの「身体化」と、身体化認知の研究でいうところの「身体化」ではかなり意味合いに違いがあることがわかった。どうちがってどう通底しているのか、関心があるんだけど、この論文を精読したところでわからんだろう。Goffman(1967)というのを読むとよいらしい。邦訳があるらしい(「儀礼としての相互行為」)。

 話は違うけど... 往年の名ピッチャー、たしか金田正一さんだったと思うんだけど、ずいぶん前のTV番組でこんな話をしていた。マウンドでひそかにウンコを我慢しつつ打線を抑え、攻守交代とともにトイレに駆け込んだ。スッキリしたのは良いが、次の回でボロボロに打ち込まれてしまった。「糞力(くそぢから)」という言い回しがあるけど、あれは本当だ、と。
 わかる。すごくわかる。「なにくそ」と一生懸命仕事しているときも、途中でトイレに立ってうっかり大きいのを排出すると、席に戻ってきたときには瀬戸内の凪の海のように穏やかな、「許そう...すべてを...」という心持ちになっていて、しばらく元に戻れないじゃないですか。戻れないですよね。
 そういう実証研究がどっかにあるだろう、身体化認知とも関係しそうだ、と思うんだけど、先日の原稿準備の際には結局見つけられなかった。探し方が悪いのかなあ。

論文:その他 - 読了:Weinberg & Williams (2005) ウンコ問題:ハビトゥス、身体化、逸脱

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