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2018年5月 8日 (火)
Baillon, A. (2017) Bayesian markets to elicit private information. PNAS, 114(30), 7958-7962.
アブストラクトに目を通して青くなった。ベイジアン自白剤と予測市場の合いの子という、私の心のどまんなかを撃ち抜く論文。これ去年の6月じゃん。なぜこれに気が付かなかったんだ...
ベイジアン市場を提案します。二値の私秘的情報を引き出すための市場です。そんじゅそこらの予測市場とは異なり、結果についての客観的検証ができない場合も大丈夫です。
ベイジアン市場の基盤にあるのは、私秘的情報は他者についての信念に影響する、というベイジアン推論の想定です[ここでDawes(1989 JESP)を引用]。いまある事柄にYesと答える人は、その事柄に対する他者のYes割合についての期待を更新する際に自分の答えを使います。[←おおお、ベイジアン自白剤と全く同じ話だ]
予測市場では、あるイベントの賭けがその人の信念を表します。ベイジアン市場では、他の人の回答への賭けが、他者についての信念を表し、ひいては当該の問いへのその人の真の答えを表します。
私秘情報を引き出す手法としてはすでにベイジアン自白剤やピア予測法があります[Prelec(2004 Sci.), Miller, Resnick, & Zeckhauser(2005, MgmtSci), Parkes & Witkowski (2012 Proc.AAAI)(←たぶん Witkowski & Parkes(2012)の間違い), Radanovic & Faltings(2013 Proc.AAAI; 2014 Proc.AAAI)]。でも確率推定やメタ信念推定をしているぶん複雑です。いっぽう提案手法はただの賭けなので単純。ただし二値の質問限定です。
エージェントの数を$n$とする。私秘情報についての二値設問を$Q$、値を{0,1}とする。$i$が持つ真の情報(=$i$のタイプ)を$t_i$とし、$\omega = \sum^n t_i/n$とする。
先行研究と同じく、すべてのエージェントは「自分のタイプを知らない場合の事前信念」$f(\omega)$を共有していると仮定する。なおこの事前信念の共有という仮定は Harsanyi(1968 MgmtSci)が支持しているぞ。
[次の段落は大事なので全訳]
Prelec(2004)と同様に、タイプが非個人的に情報的だということ、すなわち$f(\omega|t_i)=f(\omega|t_j)$と$t_i=t_j$が等価だということ、を共通知識とする。この特性は2つの側面を含んでいる。
第一に、タイプは非個人的である。$t_i=0$であるすべてのエージェント$i$は共通の更新後信念$f(\omega|t_i=0)$を持ち(その期待値を$\bar{\omega}_0$と書く)、$t_j=1$であるすべてのエージェント$j$は共通の更新後信念$f(\omega|t_j=1)$を持つ(その期待値を$\bar{\omega}_1$と書く)。このように、エージェントのタイプはすべての非共有情報を含んでいる。
第二に、タイプは情報的である(ないし「確率的に関連性を持つ」)。エージェント$i$のタイプが1ならば、このシグナルのせいで彼は、$\omega$は彼が事前に想定していたよりも大きな割合だと考えるようになる。いっぽうタイプ0のエージェントは小さな割合だと考えるようになる。よって$\bar{\omega}_0 < \bar{\omega}_1$である。
話を単純にするため、$n$は無限大であり、$f$は「すべて0」や「すべて1」でないと仮定する。
提案手法。
$Q$についての市場をつくる。全員が同時に参加するワンショット市場である。
参加者はあるアセットを取引できる。そのアセットとは、価値$v$が「1と報告する人の割合」であるアセットである。
この市場では、参加者は主観的な期待ペイオフを最大化する、参加者は主観的期待ペイオフが正の時しか市場に参加しない、というのが共有知識になっている。
- 参加者はまず回答$r_i$を報告する。
- 次に、$p$が一様分布からランダムにドローされる[←すごく混乱したんだけど、この$p$がマーケットメーカの提案価格であり、全参加者に対して共通なのだ]。
- $r_i$が1だったら「価格$p$でアセットを買うか」、0だったら「価格$p$でアセットを売るか」を問われる。[←これはいわば注文であって、成立するとは限らない]
- すべての取引はマーケット・メーカとの間でなされる。取引が成立するかどうかはあるルールで決まる。
- アセットを清算する。清算価格は$r_i$における1の割合とする。つまり、アセットを買った人に$v$を配り、売った人から$v$を徴収する。買い手の手元には$v-p$, 売り手の手元には$p-v$が残る。
さて、取引の成立・不成立を決めるルールとは...
- 1と報告した人のうち「買う」という人が多数派であるとき、そのときに限り、0と報告した人の売り注文はすべて成立する。
- 0と報告した人のうち「売る」という人が多数派であるとき、そのときに限り、1と報告した人の買い注文はすべて成立する。
話の先取りになるけど、ここで「多数派」というのを「全員一致」に置き換えても、「三分の一以上」に置き換えても、実はこの論文の結果は変わらない。実装の上で「多数派」としておくのが自然なだけで。
結論からいうと、この市場では真実報告がベイジアン・ナッシュ均衡になる。以下、その説明。[毎度のことながら頭がこんがらがってくるので全訳する]
まず、すべてのエージェントが市場に参加すると仮定する。後述するように、すべての期待ペイオフは0より大なので、エージェントは実際に参加することは保証されている。
エージェント$i$について考える。他のすべてのエージェントは真実を報告する、すなわち$v=\omega$と仮定する。
タイプ1のエージェントは買い手側となり、市場価格$p$が、アセットの価値についての彼らの期待値$\bar{\omega}_1$を下回るときに買い注文を出すだろう。同様に、タイプ0のエージェントは売り手側となり、市場価格が$\bar{\omega}_0$を上回るときに売り注文を出すだろう。
仮定により、両方のタイプのエージェントがいることは確実であり、それぞれの側の多数派が取引を求めた時、マーケット・メーカが[逆側の]取引希望者の全員と取引することも確実である。従って、取引が生じるのは$\bar{\omega}_0 < p < \bar{\omega}_1$のとき、そのときに限られる。
エージェント$i$はどうすべきだろうか? もし彼のタイプが1ならば、彼はアセットの価値を$\bar{\omega}_1$と期待する。売り手として利益を出すためには、彼は市場価格[$p$]が$\bar{\omega}_1$を上回ったときだけ売り注文を出すことになるが、そんな高値での取引は起こらないだろう。しかし、市場価格が$\bar{\omega}_1$までであれば彼は買い注文を出したい。従って彼は、市場価格が$\bar{\omega}_0$ と $\bar{\omega}_1$の間である時に取引で利益が得られると期待する。
このペイオフを獲得するためには、彼はまず1と報告しなければならない。すなわち、真実を報告しなければならない。そうすれば、彼は
$\int_{\bar{\omega}_0}^{\bar{\omega}_1} (\bar{\omega}_1 - p)dp = (\bar{\omega}_1-\bar{\omega}_0)^2)/2 > 0$
を受け取ると期待できる。つまり、$\bar{\omega}_0$と$\bar{\omega}_1$との間にあるすべての市場価格$p$について、ペイオフは$\bar{\omega}_1 - p$となる。
いわゆる混合方略(ある確率で1と報告し、そうでないときに0と報告する)には意味が何。なぜならそれはペイオフを獲得する確率を低くするだけだからだ。
タイプ0のエージェントにとっても真実申告が最良である。その証明は上と対称であり、期待ペイオフも同一である。
[よーし、具体例で考えてみよう。
人々に「幸せですか」と訊ねる。全員から回答を集めたのち、マーケット・メーカの提案価格(1円~99円)をルーレットか何かで決め、全員に提示する。
- 「いいえ」と回答した人には、幸せ証券の空売りを提案価格で注文する権利が与えられる。でもその注文が成立するのは、「はい」と答えた人の過半数が幸せ証券の買い注文を出した場合のみである。
- 「はい」と答えた人には幸せ証券の買いを提案価格で注文する権利が与えられる。でも注文が成立するのは、「いいえ」と答えた人の過半数が幸せ証券の空売り注文を出した場合のみである。
架空例として、参加者のなかには幸せな人が60%、そうでない人が40%いるとしよう($\omega=0.6$)。このことを参加者は知らない。幸せな人は幸せ率を70%と見積もり($\bar{\omega}_1=0.7$)、不幸な人は幸せ率を50%と見積もる($\bar{\omega}_0=0.5$)、としよう。話を簡単にするために、このことを参加者全員が知っているとする(本当は$\bar{\omega}_0 < \bar{\omega}_1$であるということさえ知っていれば良い)。
太郎は幸せである。ゆえに幸せ率は0.7、清算価格は70円となるとみている。太郎は考える:
- 仮に正直に回答したらそのあとでなにが起きるか。俺は提案価格が70円を下回った時だけ買い注文を出す。ただし、提案価格が50円を下回ったら、あの不幸せな連中(奴らは自分が不幸せであるために清算価格を50円と見込んでいるのだ、かわいそうに)は空売り注文を出さないから、俺の買い注文は成立しない。結局、提案価格が50円と70円の間であれば、俺は(70円-提案価格)分の利鞘を稼ぐことができる。
- 仮に嘘をついたらなにが起きるか。俺は提案価格が70円を上回った時だけ空売り注文を出す。でも俺の真の仲間である幸せな人々は、そんな高い提案価格のときには買い注文を出さないから、俺の空売り注文は成立しない、つまり利鞘は稼げない。
ということは、正直に回答したほうが得だ。
次郎は不幸である。ゆえに幸せ率は0.5, 清算価格は50円となるとみている。次郎は考える:
- 仮に正直に回答したらそのあとでなにが起きるか。俺は提案価格が50円を上回った時だけ空売り注文を出す。しかし、提案価格が70円を上回ったら、あの幸せな連中(奴らは自分が幸せなので清算価格を70円と見込んでいるのだ、馬鹿どもめが)は買い注文を出さないから、俺の空売り注文は成立しない。結局、提案価格が50円と70円の間であれば、俺は(提案価格-50円)分の利鞘を稼ぐことができる。
- 仮に嘘をついたらなにが起きるか。俺は提案価格が50円を下回った時だけ買い注文を出す。でも俺の真の仲間である不幸な人々は、そんな安い提案価格のときには空売り注文を出さないから、俺の売り注文は成立しない。つまり利鞘は稼げない。
ということは、正直に回答したほうが得だ。
というわけで、全員が正直に回答することになる。]
なお、
- 仮に全員が同じ回答をすると、取引は成立せず、ペイオフの期待値はゼロになり、よって誰も参加しない。これも均衡解なんだけど、全員が参加して真実報告するという均衡解のほうは期待ペイオフが0より大なので、こっちのほうが支配的である。
- 上記の説明では、両方のタイプが確実に存在すると仮定したが、この仮定はもう少し緩和できる。付録を参照。
- 上記の説明では、市場価格は一様分布と仮定したが、そうでなくても、とにかく(0,1)の全区間で0以上であればよい。付録参照。
- 上記の説明では、$n$は無限大としたが、実は4以上であればよい。ただし、アセットの清算価格を、残りの3人の回答における1の割合とする(自分の回答が清算価格に影響しないというのがポイント)。付録参照。
他の研究との比較。
- ベイジアン市場は予測市場を、結果を客観的に検証できない場合へと拡張したものになっている。
- 80年代以降、さまざまなベイジアン申告メカニズムが提案されている(ベイジアン自白剤、ピア予測、Cremer&McLean(1988 Econometrica), Johnson, Pratt, & Zeckhauser(1990 Econometrica))。ベイジアン自白剤の支払ルールは参加者にとってわかりにくいし、予測値を報告するというのは難しい。ピア予測は、支払ルールが必ずしも透明でなく、真実申告という均衡が全員が同じ回答をするという均衡を必ずしも支配しない。
- ベイジアン市場がうまくいかないのは、専門家と非専門家が混じっているとき(ベイジアン自白剤だと、専門家yes, 専門家no, 非専門家yes, 非専門家noの4択にするという手がある)。
- 技術的に言うと、マーケット・メーカがいるせいで、取引の蓋然性と実際の$\omega$は無関係になり、これによりノー・トレード定理を回避できる。ポイントは市場開催中は$\omega$が未知だという点。だからワンショット市場にしたのである。これがシーケンシャルな市場ということになると結構難しい。Cummings et al.(2016 Proc.ACM Conf.Econ.Comp.)をみよ。
- 事前分布の共通性という仮定について。これを緩和しても、自分と同じタイプのエージェントの事後分布が、違うタイプのエージェントの事後分布よりも自分の事後分布と似ているとエージェントは期待する、という仮定を置けるなら、ベイジアン市場は頑健である。付録を参照。実務的には、参加者が「他の人の事前分布は俺のと違う」と思う理由がないような状況が望ましい。あまり聞かれたことがないような質問とか。
- 情報への敏感性という仮定について。心理学研究では、人はベイジアン更新に従わないということが示されている["Cognitive Illusions"(2014)という論文集が引用されている]。でもベイジアン市場にとって大事なのは、$\bar{\omega}_0 < \bar{\omega}_1$という仮定で、これは確証バイアスとかによって反転したりはしないだろうし、false consensus 効果としてよく観察されている。[いくつか挙げられているが、Hoch(1987 JPSP)というのが面白そう]
- shamefulな行動についての質問の場合には、多数者の無知(pluralistic ignorance)が起きて、他者の回答の予測が社会的規範側によってしまう可能性がある。理屈の上では、そうであってもとにかくfalce consensusが生じればいいんだけど、実務的には多数者の無知が生じているような領域では使わないほうがいいかも。
- 自分は他の人とは根本的に違うと考えるエージェントがいる場合には、$\bar{\omega}_0 < \bar{\omega}_1$が成り立たなくなるかもしれない。個人的なテイストについての質問とか、政治的見解についての質問とか。
- 実証研究では、人はベイジアン・ナッシュ均衡解を必ずしも使わない[Goeree & Holt(2001 Am.Econ.Rev)←これ面白そう!!!]。でもこれは学習によって緩和されるといわれている[Erev & Roth (2014 PNAS)←へー!]。というわけで、真実申告から逸脱するとペイオフが下がるのよ、と説明したほうがいいかも。
- 参加者全員が、1と0を逆に読み替えれば、それもまたベイジアン・ナッシュ均衡になる。でもこれは非現実的。
- 嘘をつくこと自体にインセンティブがあるような状況ではうまくいかなくなるかも。あまりにセンシティブな情報とか。
- 金銭的インセンティブのせいで内発的動機づけが損なわれることが怖い場合には、Lowenstein&Prelecみたいに、あなたの報酬ぶんをどこどこに寄付しますってことにすればよいのでは。
最後に、応用領域について。
- ベイジアン市場は、センシティブではないけれどきちんと答えるのが大変な私秘情報にを調べるのに向いている。
- 実験経済学者のみなさんは、メインの実験結果(金銭的報酬を使う)を補足するために、インセンティブなしの調査データを集めることがあるけれど、そういうときにもお使いいただける。[←ふうん...]
- ずっと先にならないと結果がわからない出来事とか、結果がそもそもわからない出来事について、予測市場の代わりとしてもお使いいただきたい。
。。。うっわー。。。 これ、面白い。。。
著者はフランス出身の経済学者で、すごく若そうな人。実をいうとしばらく前に、エラスムス大ロッテルダム校の院生によるベイジアン自白剤の修論というのがネット検索でひっかかり、まあ修論なら読まなくてもいっかとブラウザのタブを閉じてから、おいちょっと待て、それを指導してる研究者がいるってことじゃん、それ誰? とひっかかっていたのである。ああ、いたよ、ここに張本人が。
あまりに面白いので、あれこれ考え込んでしまい、まだ感想がまとまらない。とりあえずいま気になっているのは、実証実験はあるのか、やったらどうなるのかということだ。この手法はBDMメカニズムに似ていると思うんだけど、BDMメカニズムは実証的には必ずしも機能しないと聞いたことがある。
ともあれ、論文本文を読んだメモとして記録しておく。次は付録を読もう。いやしかし、これ、面白いなあ...
論文:予測市場 - 読了:Baillon (2017) ベイジアン・マーケット