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2006年1月20日 (金)

Mycroft, R.H., Mitchell, D.C., & Kay, J. (2002). An evaluation of statistical procedures for comparing an individual performance with that of a group of controls. Cognitive Neuropsychology, 19(4), 291-299.
 ひょんなことからIくんが送ってくれた(感謝!)。
 ケース・コントロール研究でケースがN=1のときは,まずコントロール群の分布から母平均と母分散を推定し,それらを使ってケースの値を標準化し,それがN(0,1)の両側5%に落ちるかどうか調べたり,あるいはコントロールの分散だけを使ってANOVAをやったりするのが普通である。しかし,ケース群の真の被験者間変動は,実はコントロール群の被験者間変動よりはるかに大きいことが多い。そんなときはType Iエラーが大きくなってしまうので困る。そこでこのたび,モンテカルロ法で適切なF臨界値を求めました。という論文。
 ケース群のほうが標本分散が大きいから困ったねどうしようか,という話ではなくて,ケースの値がほんとに1個しかない(繰り返しがない)ときにコントロールとどうやって比較するかという話である。そこのところでちょっと戸惑ったけど,でも問題意識ははっきりしているし説明は丁寧だし,わかりやすい論文だと思う。提案している方法は,要するに検定力を削ってαを無理矢理保つという話だと思うけど,こっちの業界ではきっと検定力なんて気にならないんだろう。

 それでもなお,この論文からはなんだか奇妙な印象を受ける。ケースはヤマダさんだけですというタイプのケース・コントロール研究は,「ヤマダさんは(コントロール群に代表される)健常者の母集団からのサンプルだ」というH0を棄却しようとするのが普通だ。だからこそ,コントロール群の分布から推定した母集団パラメータを使ってケースの値を標準化してみたり,コントロールの分散だけを使ってANOVAをやったってみたりするのである。著者はそういう分析について,ケース群の被験者間変動の大きさを無視していると批判するけれども,そういう研究はそもそもケース群というものを考えていないのだ。
 N=1ということは,ケース群の分布についての実証的な証拠が手元に無いんだから,あくまでヤマダさんについてのH0を立てるのが,なんというか,自然であろう。もちろん研究の関心はヤマダさんその人にあるのではなく,ヤマダさんに代表されるナントカ患者の一般的性質にあるのだけれど,ケースから得た知見をナントカ障害へと一般化する推論は実質科学的なレベルの問題だ,というのが,常識的な考え方なんじゃないかと思う。
 ところがこの論文では,ヤマダさんからナントカ障害への一般化を統計的推論の道具立てに繰り込んでしまい,「(ヤマダさんに代表される)患者の母平均は,(コントロール群に代表される)健常者の母平均と同じだ」というH0を設定する。それはそれで一つの考え方だと思うけれど,そういう考え方が必要になるのはいったいどういう問題状況なのか,うまくイメージできない。いいじゃん,ヤマダさんについて検定してれば。
 さらにいえば,臨床研究では「患者の母集団平均」なるものを問題にすることそのものが無意味な場合も少なくないと思う。この点はちょっと自分の中で整理できていないんだけど,たとえば「高血圧患者の血圧の平均」ってなんだろう? 普通の人より高い,ちょっと高い人もいればすごく高い人もいる,としか云いようがないと思う。
 まあいいや,俺にわからんだけで,「ケースの母集団分布」について検討するのが必要かつ有意義であるような問題状況が,きっとどこかにあるのだろう。次のハードルは,その母集団分布について正規性を仮定しなければならないという点だ。さらに,ケースのσがコントロールのσの何倍くらいなのかがわからないと,この論文の手法は使えない。ケースはN=1なのに,どうやって見当をつけるんだろう?
 きっとどこかで役に立つんだろうけど,でもいったいどこで役に立つのか想像がつかない。そういう意味で面白い論文だった。

論文:データ解析(-2014) - 読了:01/20まで (A)