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2015年1月 8日 (木)

 このたびembodied cognitionについて調べていて、大いに助けになった資料のひとつがShapiro(2011)なんだけど、しかしこの本は幸か不幸か表層的な概観ではなく(本音を言うと、もっと上っ面を舐めたようなのが読みたかったんですけどね)、かなり意外な批判的主張を含んでいる。文章は平易なのに、いつのまにか思ってもみなかった結論へと連れて行かれてしまうのである。さすがは哲学者。
 あれこれ考えていたら混乱してきちゃったので、頭を冷やすために、空き時間にメモを取った。序章と7章の要約。

 Shapiroさんにいわせれば、embodied cognitionには3つの主要テーマがある。
 ひとつめ、概念化仮説。

ある生体が獲得できる概念は、その生体の身体の諸特性によって制限ないし制約されている。つまり、生体が自分をとりまく世界を理解する際に依拠する諸概念は、その生体が持っている身体の種類によって決まる。そのため、身体において異なる生体は、世界の理解の仕方もまた異なる。

具体的には、後期のRoschとか、Lakoff & Johnsonとか、Glenbergとか。
 彼らの解釈は標準的認知科学(表象計算主義のこと。以下「主流派」)による解釈と競合している。主流派に軍配が上がる。理由:

 ふたつめ、置換仮説。

これまでは表象過程が認知の核だと考えられてきたが、環境と相互作用する身体があれば、表象過程はもういらない。つまり、認知はシンボリック表象を扱うアルゴリズム的過程に依存しているのではない。認知は表象状態を持たないシステムにおいて発生しうるし、計算過程なり表象状態なりに訴えなくても説明できる。

具体的には、Esther Thelenとか、Randy Beerという人とか、ルンバの父Rodney Brooksとか。
 彼らは自分たちが主流派と競合すると思っている。彼らが扱っているいくつかの現象については彼らの勝ちである(幼児の固執行動とか、ロボットのナビゲーションとか)。でも主流派は絶望しなくてよい。認知科学者の道具箱に新しい説明ツールが追加されただけだ。

 みっつめ、構成仮説。

身体ないし世界は、認知処理において単に因果的役割を演じるというだけでなく、構成的役割を演じている。酸素は爆発の原因であるいっぽう、水を構成している。同様に、身体ないし世界は認知に因果的影響を及ぼすだけでなく、認知そのものを構成している。

具体的には、Alva Noeという人とか、Andy ClarkとかRobert Wilsonとか。
 みんな驚くと思うけど、構成仮説は主流派と競合していない。構成仮説の批判者たちは、彼らが認知過程を脳の外側に拡張しようとしていると思っているけど、そうじゃなくて、彼らは認知過程の構成要素を脳の外側に拡張しようとしているだけだ。主流派にとっては、認知過程の構成要素が脳の内側だろうが外側だろうがどうでもよいことだ。構成仮説は別に新しくない。

 というわけで、embodied cognitionにおける各チームの戦績は以下の通り。概念化仮説は負け。置換仮説は勝ったり負けたり。構成仮説はそもそも戦ってない。とはいえ、神経科学が概念化仮説に勝機をもたらすかも。コネクショニズムが置換仮説をもっと強力にするかも。構成仮説の形而上学的主張はこれから負けが込むかも。戦いはまだ始まったばかりだ! [←とは書いてないけどだいたいそういう意味]

雑記:心理 - 身体化認知における各チームの勝敗(試合解説はShapiroさん)

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