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2015年3月27日 (金)

 たまたまtwitterのタイムラインを眺めていたら、心理学の世界で有名な逸話についてのちょっとした記事をみかけて、あれれ、と思った。元記事を書いたRichard Griggsさんという人、80年代に推論研究でブイブイいわせていたあのGriggsである。4枚カード問題の主題内容効果についての論文Griggs&Cox(1982)は、いまでも教科書に引用される記念碑的研究だと思う。すいません、よく覚えてませんけど。
 検索してみたら、Griggsさんはいまは心理学史や心理学教育に関心をお持ちのようで、キティ・ジェノヴィーズさんは最近の教科書でどう教えられているかとか(キティさんは心理学の世界で有数のかわいそうな方である)、スタンフォード監獄実験はどう教えられているか(心理学の世界で有数の怖い話である)、アッシュの同調実験はどう教えられているかとか(心理学の世界で有数の面白い話である)、そういう記事をいっぱい書いておられるらしい。時は流れたなあ。

 このGriggs先生、心理学の世界で有数のかわいそうな赤ちゃんである「アルバート坊や」についても一家言お持ちのご様子である。
 アルバート坊やとはですね、一般教養の心理学だとたぶんGW明けに登場する赤ちゃんである。若くしてアメリカ心理学会会長を務めた天才心理学者ワトソンは、アルバートちゃんに白いネズミをみせ、触ろうとしたときに鉄棒を叩いて大きな音を立てた。おかげでアルバートちゃんはネズミを見るだけで怖がるようになり、のみならずウサギや白いふわふわしたものを見るだけでも怖がるようになったのである。かわいそうなアルバートちゃん。
 この実験の様子を示した有名な写真には、ハンマーを持ったワトソン、泣くアルバート、そして見目麗しき大学院生レイナーが写っている。無垢な乳児に深い心的外傷を負わせた罪の意識に耐えかねた、のかどうか知らないけど、天才ワトソンは弟子レイナーと不倫の恋に落ち、アカデミズムを追われて実業界に転じ、のちに広告代理店J. Walter Thompson (現WPPグループ)の副社長となるのだけれど、それはまた別の話。

 さて、心理学の世界にその名を轟かすアルバート坊やとはいったい誰だったのか。こんなひどい目にあわされて後を引かなかったのか。これはちょっと面白いトピックで、たしか日本の心理学者の本でもこの話題に触れたものがあったと思う(今田寛「学習の心理学」じゃなかったっけ?)。実はワトソンの隠し子だったという与太話を見かけたことがあるけれど、さすがにそれはでたらめだろう。
 私と同じくらいヒマな方ならご存知かもしれないが、実は2009年のAmerican Psychologistに、大学の付属施設に勤めていた女性の息子にして重い障害を抱えた赤ちゃんDouglasこそがアルバート坊やだ、という論文が出て、ちょっと話題になった。ところがGriggs先生はAlbert=Douglas説を否定する立場に立っておられる模様だ。いやー楽しそうだなあ。

Griggs, R. (2015) Psychology’s Lost Boy: Will the Real Little Albert Please Stand Up?, Teaching of Psychology, 42(1), 14-18.
 というわけで、たまたま拾ったPDF。掲載誌はIF 0.5という風情のある雑誌である。
 別に読む必要はないのだけれど、気分転換に...

 まずは歴史のおさらい。アルバート坊やについてのワトソンの手による情報は、(1)論文Watson&Rayner (1920, JEP), (2)ワトソンが公開した映像, (3)そしてWatson & Watson (1921)という一般向け啓蒙記事のなかでの言及、だそうである。論文のなかでアルバート坊やは"Albert B."と呼ばれている(実名かどうかはわからない。当時は個人秘匿の倫理規定がなかった)。母は大学の付属施設に勤務する乳母であり、健常な赤ちゃんで、実験後に養子に出された、とされている。

 さて、アルバート坊やの素性には2つの説がある。
 ひとつはBeck, Levinson, & Irons(2009, Am.Psych.)によるDouglas Merritte説。彼らは残された書簡から赤ちゃんの生年月日の期間を絞り込み、一方で母親容疑者である乳母を3人にまで絞り込む。Ethel Carterさんはアフリカ系だったので釈放。Pearl Bargerさんはその期間に出産したという記録がない。残るArvilla Merritteさんが、ちょうどその期間に子どもを産んでいる。Beckらはその孫のIronsさんを探しあて(この方が第三著者)、赤ちゃんの名前がDouglasであったことを突き止める。
 では、"Albert B."のBはどこから来たか。Beckらの推理は次の通り。ワトソンの母はとても信心深い人で、バプテスト教会の指導者 John Albert Broadusの名を取って息子にJohn Broadus Watsonと名付けた。AlbertときたらBroadus。というわけで、これはワトソンの言葉遊びだろう。
 なお、Douglas Merriteは水頭症で6歳で亡くなっている。映像の分析でも、アルバート坊やには障害があるように見える由。論文には健常な乳児だと書いてあるんだから、倫理的な大問題である。

 このBeck説に対して批判が現れる。Powell(2011, Hist.Psych.) いわく、(1)実験が行われた時期はBeckらの推定より遅いはず。(2)ワトソンはアルバート坊やは養子に出されたと述べているが、Douglasは養子に出されていない。
 Powellらは捜査をやりなおし、Beckらの捜査線上に一旦浮かんで消えたPearl Bargerに再び疑いを向ける。新しく発見した証拠によれば、彼女は1921年にCharles Matinekと結婚。1940年の国勢調査記録によれば、夫婦の長男はWilliam A. Barger。大学側の医療記録に戻って探しなおしたら、この子のミドルネームはAlbertとなっているではないか。まさに"Albert B."。さらに、元論文に示されたアルバート坊やの体重はDouglasの記録とは合わないが、この子の記録とはほぼ一致する。なお、彼らは映像も再分析しており、アルバート坊やに障害があるようには見えないと主張している。
 なお、Albert Bergerさんは2007年に87歳で亡くなっている。実験のせいかどうかはわからないが、ご本人は確かに動物があまりお好きでなかった。自分が心理学の世界で超有名だなんて思いもよらなかっただろうが、もし知らされていたら、親族の方いわく、「きっと興奮してたでしょうね」。

 Powellらのこの新説にはBeckらの反論もあるようだが... Griggs先生いわく、いまんとこPowell側に軍配が上がるね(Albert Bergerさんも養子に出されてはいないから、決定的とはいえないけど)。ともあれ、ワトソンとレイナーに向けられている倫理的疑惑は晴らしてあげたほうがよさそうだね。云々。

論文:心理 - 読了:Griggs(2015) 「アルバート坊や」追跡

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