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2007年10月14日 (日)

 机の引き出しの奥に,携帯用の小さなデジタル時計がいまも転がっているはずである。電池は切れていて,液晶の部分はもう何年も空白のままだ。薄い長方形の表面は,青い塗装がもう剥げかけているし,小さなボタンのゴムは少し変色している。
 なにかの景品のようにしか見えない,みすぼらしい時計だが,これを買ったのはもう30年ちかく前のことだ。

 最近は洗濯機も脱水後にピーピーと鳴るが,俺が子どものころは電子音それ自体が物珍しかった。小学校の音楽の時間,音楽室に新しく入ったステレオセットで,教師が (今にして思えば喜多郎のできそこないのような) ピコピコと音が続く奇怪なレコードを回し,これがこれからの音楽だ,と真剣な顔でいった。もっとも俺は,その音にあわせて動くボリュームメータの針に釘付けだったけれど。
 ちょうどそのころ,自宅にはじめて電子音を発する機械がやってきた。それはセイコー製の,枕元に置く目覚まし時計で,ひょっとしたらまだ実家では現役かもしれない。表示部は液晶ではなく,昔の駅や空港の行き先表示のように,数字の薄い板がぱたぱたと回る仕掛けだが,アラーム音が甲高い電子音で,買ってきたばかりのころはそれが鳴るたびに,UFOだUFOの襲撃だ,と家中ではしゃいだ。
 青い携帯用の時計を買ったのはその後のことで,林間学校だかなにかのせいでよそで泊まらなければならなくなった俺が,朝きちんと起きられるようにと,母が商店街の時計屋で買ってくれたのだと思う。なによりも自分専用の時計が出来たのが嬉しく,それがまるで未来からやってきたようなデジタル時計なのがまた誇らしくて,小学生の俺は時計を握りしめて布団に潜り込み,目覚ましの時間を何度も設定し直しては,耳元で鳴らしてみたものだった。

 携帯時計の前面には,メーカーの名前(CITIZEN)の下に,それと同じくらいの大きさで「QUARTZ」という表記がある。クォーツ,つまり水晶の振動を利用した電子回路は計時精度を革命的に進歩させたが,それが安価なコモディティと化したのはずっと後の話であり,田舎の子どもの俺がこの携帯時計を手にしたときでさえ,クォーツ回路はまだまだ高級品であった。その証拠に,この小さな携帯時計には部屋が付属していた。
 携帯時計は四六時中使う物ではない。しかし,幅1センチ足らずの小さな液晶では時間を読み取りにくいから,使わないときは壁に掛けておく,という使い方にも無理がある。そこで考えられたのが,時計の心臓部だけを切り離す,という仕組みである。自宅の壁には大きなアナログ時計を掛けておくのだが,その中心回路は小さなユニットとなっており,取り外せば携帯時計となる。外出する際には,壁の裏側にまわって回路を取り外し携帯する。帰宅時にそれを元通りはめ込めば,再び壁掛け時計が動き出す。
 こうした使い方を想定し,当時のクォーツ携帯時計には,床から天井に達する高さの大きなパネル,その表側にかけるための大きな壁掛け時計,パネルを補強する金属製のフレームが付属していた。部屋の壁から肩幅が入るくらいの距離を離してそのパネルを立てれば,それは部屋の壁と見分けがつかなくなる。パネルの裏側のフレームはかなりしっかりした作りで,パネルから肩幅分だけ裏側に張り出した立方体となっている。要するに,時計を買うと小さな時計室が付いてくるわけである。そんな使い方をすれば部屋は狭くなってしまうわけで,団地暮らしには向かないが,それだけ当時のクォーツ時計は高価な代物だったのである。

 いまではすっかり忘れられてしまった,このタイプのクォーツ携帯時計に,数十年ぶりに再会する機会があった。ご厚意を得て,実際にクォーツ時計を壁掛け時計にはめ込ませてもらった。
 畳が敷かれちゃぶ台が置かれた展示用の居間は虚ろに明るく,かえって現実味がなかったが,古い砂壁にみせかけたパネルの裏側,時計室の薄暗い空間に身を屈めて入っていくと,ふと子どもの頃に帰ったような気がした。パネルの裏面は不思議なくらいに巨大な緑色の電子基板で,それに左肩を触れないようにしながら,壁掛け時計の裏側に当たるところへとにじり寄っていくのだが,はめ込む場所は子どもの頃の記憶とは違い,パネルの裏側の基盤ではなく,その右側(つまり部屋の壁の側)にしつらえてあるもう一枚の小さな基盤上にあった。壁掛け時計の下側に円形の小さな穴が開けてあり,そこから基盤へと白い光が差している。あとで伺ったところによれば,これは初期の型にのみあった仕組みで,壁の穴から目をこらせば携帯時計の表示部も見ることができる,ということなのだそうである。
 お借りした携帯時計を基盤にそっとはめ込むと,液晶が一瞬またたき,パネルの向こうでガチリ,ガチリ,と壁掛け時計が動き出すのがわかった。そっと外に出て,まぶしさに目をしばたいた。回路の経年劣化のせいか,居間で時を刻む秒針は,時折ふと止まっては,あわてたようにまた動き出す風情である。直径が身長ほどもある巨大な壁掛け時計を眺めながら,数十年を経て変わらず時を刻みつづける時計と,それを取り巻く時代の変化に思いを馳せた。

 目が覚めて,そうだ,考えてみれば俺のあの携帯時計ってかなりな貴重品だよなあ,いまどうなっているかしらん,とあわてて引き出しをかき回した。ほこりをかぶった懐かしい時計を久しぶりに手にとってはじめて,あ,これは夢だ,と気が付いた。子どもの頃に買ってもらったのは本当,電子音が嬉しかったのも本当,でもおまけに部屋が付いてくるというのは夢だ。ずいぶんリアルな夢たったので,起きてからも信じ込んでしまったが,考えてみたら荒唐無稽な話である。なに考えてんだかなあ。

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