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2007年11月25日 (日)

 3連休を潰して臨床疫学の集中講義に出てきた。医学部修士課程の講義がなぜか一般にも無料公開されていたので,勉強のために潜り込んできた次第である。わざわざオランダからやってきた高名な先生の講義が無料で聴けるとはいえ,秋の快適な休日を日がな一日薄暗い講堂で過ごしたいという物好きは珍しいと見えて,参加者名簿をのぞき見たところ,医療・製薬関係の人がほとんどであるようだった。俺はなにをしておるんだ,と思わないでもない。
 講義の内容は,俺のような完全な素人からみてもかなり初歩的だと推察できるレベルで,たとえば仮説検定のところでは,p値の話はするけど二種類のエラーの話はしない,という具合であった。ちょっと拍子抜けしたが,それよりも感銘したのは講義の圧倒的なわかりやすさである。説明がうまいことといったら。。。講義を混乱させかねないタイプの質問も,ものの見事に整理してみせる。それもわかりやすい英語のままで。流石にプロはちがう。かつての自分の講義の混乱ぶりとついつい比べてしまい,泣きたくなった。皆さんほんとに申し訳ありませんでした。(いや,比べるほうが間違ってますけどね。でも受講者の立場になってみれば,講師が一流の研究者か,それともドロップアウトした屑かという区別はどうでもよいのである。)

 まあ,それは置いておいて。。。
 なにがいらいらするといって,ことばが英語にスイッチしたとたん,自分の知能(?)がみるみる落ちていくのが手に取るようにわかる。日本語ならフンフンと聴ける話のはずなのに,英語だと大変な集中力を必要とするし,日本語ならできる質問も英語ではできないし。なんだか自分が6歳児に戻ったような気がしてしまい,そういえばマッカーサーは日本人のことを12歳の少年だっていってたよな,あああああの時あんな風に戦争に負けていなければ,いや国際語をラテン語のままにしておけば。。。などと余計なことを考えはじめ,ますます集中力を削がれてしまう。実は勤め先での英語のミーティングのときもそうで,認知能力と自尊心が手に手をとって果てしなく降下していき,毎度毎度もうひどい目にあっているのだが(そして周囲に八つ当たりし,ひどい気分をもれなくお裾分けしているのだが),さいわい会議は集中講義ではないので,朝から晩までぶっ続け,なんてことはない。
 英語漬けの三日間がどのくらいストレスフルであったかといえば,帰りの地下鉄で,英語をマシンガンのようにばらまいている西欧人の若者に,手前らここは日本だ,もっともっとゆっくり話せ,と怒鳴りつけたくなってしまった。ここで「英語を話すな」という発想にはならないところが泣かせる。なんという植民地根性。

 英語で苦労している人は俺だけではないはずだが,他の人も俺のように屈折した思いを抱えているのだろうか。ひょっとするとこういうことにも臨界期があって,ある年齢を超えると,物事を心穏やかに学ぶことができなくなってしまうのかもしれない。結局俺が無駄に年を食っているのがいかんのか。ああいらいらする,ほんとにいらいらするぞ。

雑記 - 臨床疫学の集中講義 (神様,この世界から英語を滅ぼして下さい)

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