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2008年1月13日 (日)

Bookcover みなさん、さようなら [a]
久保寺 健彦 / 幻冬舎 / 2007-11
久しぶりに面白い小説を読んだ。
 都営団地で生まれ育ち,小学校を卒業以来,団地の外に一歩も足を踏み出さずに成長していく青年を描いた青春小説。いわゆるひきこもりとは異なり,彼はひとりで読書しひとりで身体を鍛え,団地のケーキ屋に弟子入りし手に職をつけ,なんと素敵な恋人までつくってしまう。一種の奇妙なファンタジーだが,それ故にその後の失望も苦い。なにしろ,都営団地は高齢化が進み,次第に寂れていくのである。
 読み終えて思うに,これは上手い小説とは言い難い。母親とのエピソードはもっと伏線を引いておけばいいのにと思うし,最後にとんでもない悪人が現れるあたりもちょっと都合が良すぎる。それでも,こうやって力尽くで最後まで書き上げるということが大事なのだろう。うーん,すごいなあ。
 この小説の美点は,紆余曲折あっても最後まで緊張感が失われないところだと思う。素人考えだが,物語そのものが団地に限定されているという極端な閉鎖性がミソなのではないだろうか。高校生の頃に大岡昇平の「野火」を読んで,戦争だろうがなんだろうが,とにかく閉じられた空間から人物も読者も出られないという状況をつくってやれば,それだけでちょっとした小説が書けちゃうんじゃないかしらん,と思ったのを思い出した。

Bookcover 殉教・微笑 (講談社文芸文庫) [a]
小島 信夫 / 講談社 / 1993-12-03
これは昨年ほぼ読み終えていた本。短編「アメリカン・スクール」を読んでいないのだが,整理がつかないので読了にしておく。
 「アメリカン・スクール」は,敗戦国日本の英語教師たちがアメリカン・スクールを見学にいく,その卑屈にも屈折した姿をコミカルに描いた傑作である。俺は中学校の図書室でこれを読み(なんでこんな小説を読んだのかよくわからないが),登場人物たちの姿の恥ずかしさにひとり身もだえしたのを覚えている。この恥ずかしさは尋常ではありません。極東の島国に生きる我々の本質に関わる恥ずかしさである。以来二十数年のあいだ,英語で困った目に遭うたびに,俺はよくこの小説を思い出した。
 で,久々に読み返そうと試みたところ,数頁読んだだけで,もう恥ずかしくて恥ずかしくて恥ずかしくて。。。主人公が英語で話しかけられるのを避けたいあまり,いきなり弁当を食べ始めちゃう,というあたりで涙目になって挫折した。外資系企業で日常的に悲惨で滑稽な姿をさらしている俺を鏡でみているような,あ行の音に濁点をつけて絶叫したいような気分である。

フィクション - 読了:01/13まで (F)

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