« 読了:09/07まで (F) | メイン | 読了:09/21まで (C) »
2008年9月 8日 (月)
先日読んだ鈴木敏夫「仕事道楽 スタジオジブリの現場」のなかに,徳間書店初代社長・徳間康快のエピソードが紹介されていた。一代でメディア・コングロマリットを築き上げたこの人の,ちょっと子どもっぽい豪快ぶりが活写されていて,面白かった。
この社長さんについては,ちょっと思い出がある。
俺が高校生のころ,毎年秋になると,池袋の文芸座で「中国映画祭」が開かれ,たしか毎回5~6本くらいの中国映画が上映されていた。いま調べてみたら,83年から90年まで開かれていたようである。
当時の中国映画というのは,いまでいえばインドネシア映画とかモロッコ映画とか,そのくらいにマイナーな存在であって,おおかたあれでしょう,人民服を着た善人善女が党の指導を称えるんじゃないの? という予見を持つのが,まあ普通であった。そうした古くさいイメージを一気に塗り替えたのが,文革後に映画界入りした映画作家たち,いわゆる第五世代の監督たちの作品であった。その記念碑的傑作である陳凱歌「黄色い大地」は,中国映画祭ではたしか86年の上映だった。映画祭で観たのかどうか,記憶がはっきりしないのだが,「黄色い大地」をはじめてみたときはとにかく驚いた。こんなに鮮やかでクールで残酷な映画が,この世にあるのか,と思った。
中国映画が一般に広く受け入れられるようになるのは,翌年の東京国際映画祭で呉天明「古井戸」がグランプリを取ったり(主演は北京五輪の式典の演出家・張芸謀。この人,かなりの男前なもので,時々俳優もやるのである),さらに岩波ホールで「芙蓉鎮」がロングラン上映を果たしたりしたあたりからだったけれども,陽が当たる前から良作を地道に紹介し続けてきた中国映画祭の存在が,中国映画の大ブレイクに貢献したことは間違いない。
この映画祭を主催していたのが,映画の対中輸出入を昔から手がけてきた徳間グループであった。社長の徳間康快さんは,中国との文化交流に情熱を注いだ人で,なかなか儲からない中国映画ビジネスを信念で続け,映画祭には私費さえ投じていたのだという。
マイナーな中国映画が一気に脚光を浴び,陳凱歌や張芸謀がチェン・カイコーやチャン・イーモウとして新聞雑誌に頻繁に登場し,民主化の進む中国ではこれからますます面白い映画が作られるようになるだろうと誰もが思った,その気運に凄まじい冷水を浴びせたのが,89年6月,天安門事件である。アルバイト先の中国人留学生たちが,テレビの前に集まって,黙りこくったまま立ちつくしていたのを思い出す。
私たちは熱しやすく冷めやすい。つい忘れてしまいそうになるけれども,あのころはテレビをつければ中国のニュース,新聞をめくれば中国の記事,ああ民主化は終わった,中国は暴力的な独裁国家に転落してしまった,もうこんな国とまともにつきあうことなどできない,文化交流などとんでもない,いまこそ地下に潜伏した民主派勢力を支援し体制変革を目指すべきだ,云々。。。あのときの大嵐に比べれば,先日のチベット動乱をめぐる中国批判など,たいしたものではなかった。
口を極めて非難したところで,政権が転覆するわけでなし,国ごと海に沈むわけでなし,文化・経済から政治に至るまでの多元的な交流を絶やさないことで,少しでも物事を良くしていきましょう。そういった落ち着いた意見は,あのような大騒ぎのなかでは,どうしても影が薄くなってしまう。
そんななか,気楽な大学生となっていた俺の関心事は,今年の中国映画祭はどうなるの? という点であった。民主化が頓挫したからといって中国映画の輸入がすぐに止まるわけではないけれど,中国といえば天安門虐殺という世の中,映画祭など自粛・中止となってもちっともおかしくない雰囲気だったのである。
映画祭オープニングの文芸座は満席で,通路階段にさえ人が座っており,場内はなんともいえない不思議な熱気に包まれていた。ステージに上映作品の監督や女優が並び,その前に背広を着た男が立って挨拶を始めた。徳間康快である。ふだんならば,映画会社の社長の挨拶など,終わるのを待っておざなりに拍手する程度だろうが,この日の客席は違った。「政治情勢がどのように変化しようとも!」社長は声を張り上げて,「日中の交流は,決して止まることはありません!」 会場は割れんばかりの拍手。立ち上がって両手を挙げ,喝采をおくる人もいた。
徳間康快さんについて俺はよく知らないのだけれども,バブル崩壊とともに徳間グループは危機に陥り,事業を切り売りして解体する羽目になったわけだから,決して成功した経営者とはいえないだろうと思う。また,この人が成し遂げた業績は,中国映画の紹介のほかにもきっとたくさんあるだろう。
だから,これはかなり視野の狭い見方だろうと思うけれども,あの年の中国映画祭での挨拶,満場の喝采,あの瞬間が,徳間康快さんという人にとってのひとつの頂点だったのではないか,という気がしてならない。
雑記 - 徳間康快という人