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2009年6月26日 (金)
メディアの支配者(上) (講談社文庫)
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中川 一徳 / 講談社 / 2009-06-12
メディアの支配者(下) (講談社文庫)
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中川 一徳 / 講談社 / 2009-06-12
フジサンケイグループを支配した鹿内家三代の物語。
すっかり引き込まれてしまい,息つく暇もなく読み終えた。権力闘争の手に汗握るサスペンス,骨肉の争いの下世話な興味深さ,鹿内家が権力を確立するまでの戦後史の壮大な暗部。。。これを面白いといわずになんというか。その後数日間にわたって,頭のなかは鹿内さんたちでいっぱいであった。なにしろ,通勤電車でつり革にぶら下がって揺られているとき,ついつい鹿内宏明さんの数奇な運命について考えてしまい,思わず「ああ,ヒロアキ。。。」などと小声で呟いてしまったほどである。はたからみたら危険なゲイのオヤジである。
というわけで,文句なしに最近一番の面白本だったのだが,読み終えての最大の感想は,ああ俺は日本について知らない,何も知らないのだなあ,ということに尽きる。世の中は我々の預かり知らぬところで動いているのだ,と痛感する。
いくつか抜き書き:
- 日枝フジテレビ社長はグループ各社役員を密かに糾合し,最高権力者・鹿内宏明の打倒を画策する。クーデターはまず産経新聞取締役会で火を噴く。昨日までは従順だった部下たちの突然の反乱によって代表取締役会長から解任された宏明は,混乱しつつもニッポン放送へと向かう。ニッポン放送こそはグループの事実上の持株会社であり,ニッポン放送の役員さえ固めれば,理論上は形勢を逆転できるのだ。ところが,腹心の部下であるはずの川内社長をはじめ常勤役員は,宏明を迎えるでもなければ反旗を翻すでもなく,なぜか社から姿を消していたという。クーデターの速報を寝耳に水の思いで聞いた川内は,方針を決めかねたのか,役員をつれてホテルへと逃げ出してしまったのであった。うーん,傍目にはコミカルな話だ。
- クーデターの背景には鹿内家のお家事情もあった。三代目・宏明さんは初代・信隆さんの婿養子で,遺言をめぐって義母と対立していた。義母は三代目を激しく憎み,箱根彫刻の森美術館のなかにある居宅に立てこもり(驚くなかれ,一族は美術館をほとんど私有地として使っていたのだ),宏明が使う迎賓館との渡り廊下を鉄板で遮断,窓はすべて防弾ガラスに張り替え,故・二代目春雄さんの遺児である孫を屋敷から一歩も出さず,小学校にも通わせずに四年半のあいだ屋内に閉じこめたのだそうだ。す・ご・い。「鉄仮面」みたいですね。
- そもそもオーナーではなかった鹿内家が,なぜ巨大メディア企業グループの支配者となったか。そのからくりは,二代目・春雄による「エステート構想」にあったのだそうだ。まず,節税のためと称し,グループ各社に子会社を作らせ,土地などをその子会社に移させる。たとえばフジテレビは子会社「シーエックスエステート」を設立し,本社敷地などをこの子会社に移した。当時の法人税法では,会社が金ではなく現物を出資して子会社を作る場合は,簿価で譲渡することができたのだそうである。以後,フジテレビはこの子会社に莫大な借地料を払うことになるのだが,子会社だからかまわない,と誰もが思う。「財団法人箱根彫刻の森」は,土地ではなく美術品を現物出資して子会社をつくった。これもまあ,かまわないと誰もが思う。次に,グループ各社の子会社を合併させてしまう。こうして登場した巨大な資産会社は,当然グループ各社がその株主なのだが,では最大の株主はどの会社か。意外にも,それは「箱根彫刻の森」なのである。なぜなら,含み益を無視して簿価で比べれば,土地よりも美術品のほうが高額だからだ。こうして,美術館を支配する鹿内家が,グループ全体の支配に成功したのだそうである。
- 本筋から離れるが,南喜一という人のエピソードが大変面白かった。関東大震災の混乱のなか,朝鮮人狩り・社会主義者狩りが多発,江東区亀戸では10人の社会主義者が軍に虐殺された(亀戸事件)。被害者の一人の兄は,官憲の横暴に激怒し,それまで社会運動とはまったく無縁であったにもかかわらず,経営していた町工場をたたみ,全財産を手に共産党に入党した。この人・南喜一はたちまち労働運動のリーダーとなり,共産党事務局長の盟友となる。二人は田中義一政権下の弾圧(三・一五事件)で検挙され,のちに多くの党員がそうしたように,獄中で転向する。出獄した二人は,新発明の古紙再生法をひっさげ,事業化に奔走する。当時の製紙業界は王子製紙が独占しており,王子製紙は海軍・毎日新聞・読売新聞と深い関係を持っていた。陸軍と朝日新聞はこれに対抗して国策パルプを設立する。南らは陸軍に取り入って大日本再生製紙なる会社を設立,軍と官僚の力で巨大工場を建て,政府要人に手を回して国策パルプとの対等合併を果たし,あっという間に権力の階段を駆け上がる。この南喜一の相棒こそが,労組潰しで知られ,戦後保守財界の怪物と呼ばれた男,フジテレビ初代社長・水野成夫である。ところで,当時の関係者はうすうす気がついていたのだが,南喜一が獄中で発明したという触れ込みの肝心の古紙再生術は,実はただのいかさまだったのだそうである。。。ううむ。なんと劇的な人生であろうか。wikipediaによれば,その後の南喜一は国策パルプ会長,ヤクルト本社会長となり,水野から野球チーム・サンケイアトムズを買い取り(現ヤクルトスワローズ),晩年は猥談の名手としても知られ,著書「ガマの聖談―人生に関する珍考漫考」はベストセラーになったのだそうである。
世界はカーブ化している グローバル金融はなぜ破綻したか
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デビッド・スミック / 徳間書店 / 2009-05-19
題名"The world is curved"はもちろん,フリードマンのベストセラー"The world is flat"を踏まえたもの。金融システムのグローバル化のせいで,世の中はフラットどころか一寸先も闇になってしまったが,でもグローバル化を止めるわけにもいかない,という主旨。。。だったと思う。経済の話は苦手なので,いまいち自信がない。
堅い話ばっかりじゃまずいだろうというご配慮なのであろう,ところどころ自慢話とも冗談ともつかないような軽いエピソードが紹介されるので,その飛び石をつたうようにしてなんとか読み終えた。著者は超有名な金融コンサルタントなのだそうで,リー・クアンユーと一対一で論争したり,橋本首相をヨットで接待したり,グリーンスパンと始終メシを食ったり,絵に描いたようなインサイダーである。
グローバリゼーションはどうしたって続けなければならない,そのためにこそ人々を起業家資本主義へと誘い,資本家の裾野を劇的に拡大させなければならない,んだそうだ。ふうん。
貧困ビジネス (幻冬舎新書)
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門倉 貴史 / 幻冬舎 / 2009-01
保証人ビジネスからアルバニアのネズミ講まで,表題と関係のありそうな話題を片っ端から集めてきましたという,全くまとまりのない本。失敗した。
レバレッジ時間術―ノーリスク・ハイリターンの成功原則 (幻冬舎新書)
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本田 直之 / 幻冬舎 / 2007-05
本屋でぼんやりしていると,なんとなく不安がこみあげてきて,ついついこういう本を買ってしまうのである。会計を済ませたその足でコーヒーショップに寄り,袋から出してぱらぱらめくって,30分後に「これはもう読みおえたことにしよう」と決めた。著者様には失礼な話だが,本のテーマがテーマだから,仰るとおり時間を有益に使いました,ということでご容赦願いたいと思う。
多読術 (ちくまプリマー新書)
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松岡 正剛 / 筑摩書房 / 2009-04-08
著者は読書家として大変有名な人で,俺もときどきネットの「千夜千冊」を眺めることがあるのだけど,著書には関心がなかった。ところが先般,明け方に見た奇妙な夢のなかで,俺は小川洋子の小説に出てくるような幻想的な書庫のなかで段ボール箱を延々と運んでおり,少しでも箱を雑に扱うと,片眼鏡を掛けたマツオカ・セイゴーが静かに怒り出すのであった。これもなにかのご縁かと思い,最新刊を手に取った次第。
この本もぱらぱらめくるような感じで読み終えてしまったが,なにしろ題名が「多読術」なんだから,正しい態度であろう。対談形式の薄目の内容で,なかなか楽しかった。主旨はアドラー&ドーレン「本を読む本」とほとんど同じだが,まあ誰が書いても似たような内容になるだろうし。達人のアドバイスを聞いたからといって,我々シモジモの役に立つかどうかはわからないし。
日本の難点 (幻冬舎新書)
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宮台 真司 / 幻冬舎 / 2009-04
帯に「ひとりで『日本の論点』をやってみました」とあるように,世の中のありとあらゆる問題について,整理・分析し見解を述べた本。大変忙しい。
社会科学者がこういう本を書く,その決意は大変なものだろうと思うのだけど,この本を喜んで読んでいていいのか,という気もする。誰かえらい人に包括的な物差しを示してほしいと願うのは,よっぽど実存的不安に脅かされているか,でなければある種の怠慢の表れではないかと思うのである。もう少し,ひとつひとつゆっくり考えたいなあ。
パリの聖月曜日―19世紀都市騒乱の舞台裏 (岩波現代文庫)
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喜安 朗 / 岩波書店 / 2008-03-14
19世紀初頭のパリは,人口は増大するわ社会は流動化するわ,でも都市を支えるだけの政治システムやインフラが追いつかないわで,もう大変だったのだそうだ。そのなかでの人々の生活について書いた本。
水不足に関する章がとても面白かった。当時のパリはとにかく水が足りなくて,金持ちでさえ公衆浴場に行くのが習慣であった由(風呂の出前「移動浴槽」や,セーヌ川の船の上に浴室を並べた「風呂舟」といった商売もあったそうだ)。労働者はセーヌ川の水浴場に行くのが関の山であった。で,1825年に運河ができて,パリへの給水量は増大するが,その結果生じたのは公衆浴場の増加であって,格差はかえって拡大したそうである。
ノンフィクション(-2010) - 読了:06/26まで (NF)