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2009年7月29日 (水)

Bookcover アーミッシュの赦し―なぜ彼らはすぐに犯人とその家族を赦したのか (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ) [a]
ドナルド・B・クレイビル,スティーブン・M・ノルト,デヴィット・L・ウィーバー-サーカー / 亜紀書房 / 2008-04-25
2006年,ペンシルバニアのアーミッシュの学校に男が乱入し,女生徒5人を射殺して自殺した事件があった。事件の衝撃性や,「先に私を撃って」と訴えた少女の自己犠牲的精神もさることながら,アーミッシュの人々が犯人を即座に赦し,犯人の家族に思いやりを示したことが話題を呼んだ。この本はその事件についてまとめた本だが,著者らは宗教研究の専門家なので,事件のドキュメントというよりも,この事件を題材にアーミッシュ・コミュニティとアメリカ社会の姿を探る,という内容であった。
 事件当時,アメリカのマスメディアではアーミッシュから赦しの精神を学ぼうという賛辞が溢れたのだそうだが,著者らによれば,アーミッシュの赦しは彼らのコミュニティの文化的習慣と切り離せないのであって,その点だけ取り出して学べるものではない,とのこと。なるほど。
 ついつい俺の暮らす日本に引き当てて考えてしまうのだが,仮にアーミッシュのようなカウンター・カルチャーが日本のどこかにあるとして(子どもを高校に行かせないわ,自動車も電子機器も禁止だわ,というようなコミュニティがあるとして),我々はうまいことそれと共存していけるだろうか。それとも案外,そういうコミュニティは小規模ながらひっそり点在していて,俺がそれを意識していないだけ,と考えるべきか。

ノンフィクション(-2010) - 読了:07/29まで (NF)

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