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2010年3月25日 (木)
今月中旬に「平家物語」を読み終えた後,勢い余って読んだ本を,読んだ順に。
平家物語を読む―古典文学の世界 (岩波ジュニア新書)
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永積 安明 / 岩波書店 / 1980-05-20
中高生向けの平易な手引書なのだが,そこここに深い学識を感じさせる内容であった。
「平家」中盤の主役である木曽義仲は,とことん戯画的に描かれる箇所がある反面(「猫間」),敬意とともに描かれている場面もある。最期の場面では
今井の四郎,木曽殿,主従二騎になッて宣いけるは,「日来はなにともおぼえぬ鎧が,今日は重うなッたるぞや」。今井四郎申しけるは...
というわけで,地の文で敬語が使われているのである。このズレは,多くの作者が関わったとみられる「平家」の成立プロセスのなかでの出所の違いを表しているのだけれども,しかしそもそも義仲とは独裁者と英雄という二つの側面を矛盾なく体現していた人物なのであり,そのような「義仲の全体像をみごとに造型しえたところにこそ,「平家物語」の作品としての豊かさもあり,その文学的達成もあったのである」。なるほど,そういう見方があるのか。
平家物語 (岩波新書)
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石母田 正 / 岩波書店 / 1957-11-18
意外にも,一番面白かったのがこの本。著者は戦後歴史学の超ビッグネームだが,この本は「平家」を通じて中世史を語る本であるとともに,著者の「平家」への愛を語る本でもあるようで,好き嫌いをはっきりと打ち出すところが実に楽しい。上の本がカルチャーセンターでの落ち着いた講演だとすれば,この本は立ち見で満杯の教室での人気講義という感じ。
いま内容のメモを取ろうとすると,ついついそっくり再読する羽目になりそうなので,特に印象に残った点のみ:
- 石母田先生は重盛がお嫌いで,「運命の予言者に仕立てられて,やたらにおしゃべりばかりさせられている重盛がいかに物語としてつまらないかは,一読してあきらかである」「重盛は,饒舌なだけに,作者の理想や思想を知る上では便利である」。。。という扱いである。そ,そうかなあ。あの倫理のお化けのような息子と,権力のお化けのような父・清盛の対比が面白いのに。下の板坂さんという人の本では,重盛は敗戦前の教科書でさかんに取り上げられたせいで戦後は割を食った,というような示唆があったが,そういう背景があるのかしらん。
- 先生いわく,平家物語の本来の基本的形式は年代記的叙述であろう,とのこと。そういわれてみれば,どんなに緊迫した状況でも,正月はちゃんと顔を出す。「さるほどにXXX年になりにけり」なんてね。こうした形式が,「かつて平家にとって重要な文学的機能を果たしていたときがあったのではあるまいか。実は内心そのように推測していることを白状しておこう」とのこと。
- いまその箇所を探し出せないのだけれど,何カ所かで,近代の文学と比べて平家にはかくかくの限界があるけれども...というような記述があった。こういうまっすぐな進歩史観的雰囲気は,やはり時代の産物なんでしょうかね。
平家物語―あらすじで楽しむ源平の戦い (中公新書)
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板坂 耀子 / 中央公論新社 / 2005-03
現代の学生たちにむけて平家の面白さを語る,というスタンスの本。
平家物語 無常を聴く (講談社学術文庫)
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杉本 秀太郎 / 講談社 / 2002-08-09
著者は仏文の偉い先生だが,日本の古典にも造詣が深いのだそうだ。出版社のPR誌に長期連載された,「平家物語をしみじみと読む」という内容のエッセイ。さすがに達人はちがうねえ,と唸らせる指摘があって,なかなか面白かった。終盤で,捕虜になった重衡が法然の導きで平静を取り戻し,鎌倉へと連行される場面があるけれど(「海道下」),途中で宿の長者の娘と歌をやりとりするのは,あれ,一夜をともに過ごしているということなんだそうです。やるなあ重衡。
ノンフィクション(-2010) - 読了:平家物語特集 (NF)