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2010年4月 4日 (日)
平家物語(四) (講談社学術文庫)
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/ 講談社 / 1982-06-08
平家物語(五) (講談社学術文庫)
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/ 講談社 / 1982-07-07
平家物語(六) (講談社学術文庫)
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/ 講談社 / 1984-08
平家物語(七) (講談社学術文庫)
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/ 講談社 / 1985-01-08
平家物語(八) (講談社学術文庫)
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/ 講談社 / 1987-12-04
平家物語(九) (講談社学術文庫)
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/ 講談社 / 1988-01-06
平家物語(十) (講談社学術文庫)
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/ 講談社 / 1988-02-04
平家物語(十一) (講談社学術文庫)
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/ 講談社 / 1988-04-04
平家物語(十二) (講談社学術文庫)
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/ 講談社 / 1991-07-05
2月下旬から3月上旬にかけては,まさに「平家物語」に翻弄された日々であった。ふとしたきっかけで読み始めたら,これがもう,魂を抜かれる位に面白い。勤務先で真剣な話をしているときも,ふと気を抜くと心の中で「なるほど,この指標は重要だなあ。ああそれにつけても義仲はこれからどうなっちゃうんだろうか」なあんて,数秒意識が飛んでしまったりして。すみませんすみません。
読み終えてからしばらく経ったので,ようやく感想をメモしておく気になった。強烈な読書体験であった。
- 読んでみてすぐにわかるのは,平家といえば「諸行無常」という中学国語的な知識が,まったくの余計な思いこみであるということ。よくいう言い回しでいえば,無常観は物語全編の通奏低音にはちがいないが(この「通奏低音」って言葉,誰が言い出したんですかね。丸山真男かしらん),冒頭の「祇園精舎」の章が終わるやいなや,手に汗握る政治劇あり,血湧き肉躍る陽性な合戦記あり,袖が水浸しになる王朝文学あり,今昔物語風の説話あり,誰かが語るのを聞いたらさぞや楽しかろうと思わせるリズミカルな人名列挙部分あり,ユーモアあり大悲劇あり,見あたらないのはエロティックな描写だけという,これぞ物語のワンダーランド!なのである。
- 最重要な登場人物は,なんといっても清盛。この魅力的な巨悪が物語の1/3を疾走させる。いかなる政治的危機をも怒りの爆発で乗り越える男,襲いかかる怨霊たちをひと睨みで蒸発させる男,寵愛していた女A子を紙くずのように捨てて若い娘B子に乗り換え,しかも突然A子を呼び寄せてB子の無聊を慰めよと命じる無神経な男,しかし娘の出産に際してはおろおろと錯乱する男。なんたって,死に方からして普通じゃない。あまりの高熱に「ふし給へる所四五間が内に入る者は,あつさたえがたし」「筧の水をまかせたれば,石やくろがねなンどの焼けたるやうに,水ほどばしッて寄りつかず。おのづからあたる水は,ほむらとなッて燃えければ,黒煙殿中にみちみちて,炎うづまいてあがりけり」って,どんな人体の持ち主だよ! しかもこの状態で口を利き,死の間際にあると知りつつも神仏にすがることなく,宿敵の首を我が墓前に捧げよと言い放つ。怪物としかいいようがない。
- そして奴に匹敵する怪物こそが,倫理と道徳の化け物,長男の重盛である。清盛をうろたえさせることができるのは息子の嫌みなまでな正論だけである。この中年男の異常なまでの聖人ぶりといったら,父の悪行を食い止めるために,自らの命を縮めてくれ,と願を掛ける始末なのである。自分が早死にしたら父も心を正すだろう,というのではない。平家の「栄耀また一期を限ッて,後昆[=子孫]恥に及ぶべくは,重盛が運命をつづめて,来世の苦輪を助け給へ」という,目を疑う理屈である。なんと,平家滅亡まで勘定にいれていやがる! 一足先にあの世に行って,一族の輪廻の苦しみを救おうというのだ。なんという迷惑な長男! 一緒に壇ノ浦までつきあうのが筋でしょうに! 果たしてこの長男の死後,打ちひしがれた清盛は宮廷クーデターへと暴走し,その理由を問いただしにきた法皇の使いに対して,涙ながらに「されども内府[=重盛]の中陰[=四十九日]に,[法皇は]八幡の御幸あッて御遊ありき。御歎きの色一事も是をみず」と叫び,「いかでもありなんとこそ思ひなッて候へ」と言い放つのである。ほらほら,勝手に早死にするからこんなことになるんですよ。
- 清盛の死は物語の危機,少年誌の連載漫画なら打ち切りの危機である。そこを救うのが中盤の主役・木曽義仲である。恐れを知らぬ武将にして,政治を理解できない田舎者。平家の主要登場人物はみんな「キャラが立って」いるが,義仲はその最たるものである。義経京都侵攻の報を受けてからの迷走ぶり。自分を利用し尽くした法皇のもとに駆けつけるものの,別に話すこともないので門前で引き返し,女のところに立ち寄って時間をつぶしてしまい,家来がこれを諫めて切腹したせいで我に返り,ああそうだ,竹馬の友である乳母子・今井四郎と一緒に死にたい,と思い至る。そこから二人の死にいたるまでの描写はまさにBL系の元祖,腐女子の皆様が号泣する展開である。今井が馬から飛び降りて「御身はつかれさせ給いて候」だなんて,このくだりの作者が現代に甦ったら,超売れっ子作家になるにちがいない。
- 主役級だけではなく,その場限りの脇役たちが実に生き生きしているところも,平家物語の魅力である。那須与一だけではない。最初の合戦記である宇治橋の攻防における僧兵・浄妙房の大活躍。大音声で名乗りを上げるやいなや,「廿四さいたる矢をさしすめひきつめさんざんに射る。やにはに十二人射ころして,十一人に手おほせたれば,えびらに一つぞのこッたる」「[橋板を外された]橋のゆきげたを,さらさらさらと走りわたる。人はおそれてわたらねども,浄妙房が心地には,一条二条の大路とこそふるまうたれ」 血まみれの闘いなのに,この明るさ。ジョン・ウー「フェイス・オフ」における,飛行場倉庫でのダンスのような撃ち合いに相当しますね。矢も刀も銃も,もはや人殺しの道具というより,闊達な精神の象徴なのである。
- 義仲なき後の平家物語はさすがに人材が払底してしまっており,少しテンションが落ちる。無個性な頼朝はもちろん,出っ歯の小男・義経も,あまり魅力的な役者とはいえない。勇壮にして洗練を知る歌人・忠度も,重盛のミニチュア版である英知の人・友盛も,とっくに滅びを前提として生きており,能動的に物語を動かすわけではない。エピローグ,出家した建礼門院が物語を振り返り,血湧き肉躍るドラマを仏教的世界観へと回収してしまう。聞き手の法皇もお供も「みな袖をしぼられける」という結末に至ってようやく,一番怖い人物は清盛でも義仲でもない,このヌエのような権力者・後白河院だったのだ,と思い知るわけである。
フィクション - 読了:平家物語