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2010年5月 4日 (火)
Lilja, J., Wilkund, H. (2006) Obstacles to the creation of attractive quality. The TQM Magazine, 18(1), 55-66.
品質の狩野モデルについての批評論文。バリバリの品質管理の論文だが,仕事の役に立つかと思って読んでみた。否定的コメントと言うより,むしろ建設的批判という感じであった。
狩野紀昭が「品質管理の課題は魅力品質の創造だ」と主張してから久しいが,品質管理においては依然としてエラー回避のほうが重視され続けている。その原因はふたつある。第一に,「魅力品質」ということばの意味が人によってバラバラだから。魅力品質は差別化要因だと位置づける人もいれば,顧客を驚かせ喜ばせる品質だという人もいれば,特定のタイプのニーズを充足する品質だという人もいる。そもそも,かの充足-満足の2次元空間の縦軸と横軸の意味もはっきりしない。縦軸は,狩野にいわせれば満足という感情だが,他の人に言わせれば顧客満足そのものだ(つまり認知的側面も込みになる)。横軸は,狩野にいわせれば物理的充足だが(つまり認知と独立),ニーズ充足の程度だという人もいる(つまり認知)。第二に,なぜある品質が魅力品質になる(ならない)のかを説明する心的過程の理論がないから。顧客の期待を超える品質がそうなるんだとか,潜在的欲求を満たす品質だといった提案はあるが,実証されていないし,だいたい期待と欲求じゃまるきりちがう。云々。
第一の論点,概念の曖昧さについてはなるほどその通りだと思うけれど,それが魅力品質創造のobstracleだというのは,さあ,どんなものだろうか。ある理論のなかで概念が曖昧だというのならともかく,概念の定義が人によって異なること自体は,必ずしも害をなすとはいえないのではなかろうか。古い話だけど,「科学革命の構造」でトマス・クーンが広めた「パラダイム」という言葉は大変曖昧なものであったが,それ故に科学論に対して広汎なインパクトを持った。いま諸方面で使われている「パラダイム」という言葉の意味を整理したら,きっと人によってずいぶんブレがあるだろうと思うが,そのせいで我々の科学観の深まりが阻害されているといえるのか,どうか。
いっぽう第二の論点,心的過程がブラックボックスになっているという点は,最初に一読した際には一種の言い掛かりじゃないかと思った。理由はともかく,いまなにが魅力品質なのかを毎回消費者調査で調べればよいではないですか,と。でも,読み返してみると...
現代の品質管理は一般にリアクティブな方略ではなくプロアクティブな方略を支持する。もちろん,分析を通じてなにもかもが予測できるわけではないが,予測の能力を増そうというのが一般的な野望なのである。[...] しかし,魅力品質創造のプロアクティブな工学手法は理論に依存する。すなわち,なぜその魅力品質反応が生じたのか,という理解に依存する。従って,図4でブラックボックスになっている過程[=ある品質が魅力品質となる心的過程]を明らかにすることが,プロアクティブな方略という路線を進んでいくために必要である。そうすることで,いわゆる狩野質問紙を使用する現在のリアクティブなアプローチから脱することができるのである。[...] 魅力品質の創造手法を開発するために必要な問いはこうだ:あるときは魅力品質反応が生じ,あるときには生じない,そのシステマティックな理由はなにか? それは特定のタイプの欲求の従属か,はたまた期待の超越か? もしそうなら,それはどのようにはたらくのか?
なるほどなあ,と説得されてしまった。魅力品質の基盤にある消費者の心的過程なんてどうでもいい,結果だけ知りたい,などというのは,調査プロパーが抱きがちな近視眼的発想ですね。製品開発の発想ではないな。
論文:マーケティング - 読了:Lilja&Wilkund(2006)