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2010年12月15日 (水)

Bookcover 横井小楠 (ちくま学芸文庫) [a]
松浦 玲 / 筑摩書房 / 2010-10-08
歴史にはからきし疎いし,幕末の英雄譚にもあまり関心がないので,ヨコイ・ショーナンといわれても誰のことだかわからないのである。にも関わらず買い込んだのは,ひょっとすると面白いかもと虫が知らせたからなのだが,あとでよく考えると,この夏に読んだまさかの超面白本「日本政治思想史」(渡辺浩) のなかで,この儒学者がハーバーマスやロールズに比されていたのが頭の片隅に残っていたのかもしれない。
 大当たりであった。途中で読みやめるのが難しい位に面白い内容で,睡眠時間を削って一気に読み終えた。
 酒癖の悪さで人生しくじってばかりの小楠は,しかし乞われて松平春嶽のブレーンとなり,ごく短期間ではあるが幕政を動かすほどの力を持つのである。人民の支持を失った君主はすげ替えろと言い切る,あまりにラディカルな「儒教民主主義」理論家であるにも関わらず。幕末ってほんとにわけわかんないですね。
 一番面白かったくだりをメモ。小楠は支配的学問であった朱子学からスタートし,後にその鋭い批判者となる。

彼は,朱子学の究理=格物 [道理の追求のこと] が持つ可能性を完全に検討しきることを省略し,民生の用を達する格物でないときめつけてしまったのだ。その性急さは小楠から,ヨーロッパの技術を内在的に批判する視角を奪った。

事業の学,すなわち小楠が捉えるところのヨーロッパの学は,

劣位には置かれているけれども,それ自身は独立の価値を保持している。事業の学なるゆえにますます開け,今後とも開けていくのだ。小楠には,この事業の学の内部に立ち入って,事業の学が不道徳を生み出してくる構造を見極め,事業の学を拒否あるいはつくりかえようとするまでの姿勢はない。これは朱子学の格物究理を性急に放棄した結果であると私は見る。そのため,事業の学の欠陥をカバーすることは,小楠という巨大な個性ゆえに確保している心徳の学に求めるしかなかったのだ。小楠学の継承されにくさも,おそらく,ここに起因する。
しかしこれは,十九世紀半ばの小楠にとっては,いささか苛酷に過ぎる注文だろう。[...] 異質文化の巨大な圧力にさらされていた十九世紀の小楠としては,堯舜三代を読み替え,自分をそれに一致させてヨーロッパの『事業の学』に対抗することで精一杯だったのであり,もちろんそれで十二分に意義があったのである。

日本近現代史 - 読了:「横井小楠」

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