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2011年9月25日 (日)

Bookcover スペクタクルの社会 (ちくま学芸文庫) [a]
ギー ドゥボール / 筑摩書房 / 2003-01
Bookcover スペクタクルの社会についての注解 (エートル叢書) [a]
ギー ドゥボール / 現代思潮新社 / 2000-06
「スペクタクル化社会」概念で知られるドゥボールの主著。ドゥボールは映画作家・評論家で,68年の五月革命の頃に活躍した人らしい。日本だとどういうポジションなのかしらん... 吉本隆明と大島渚を足して過激にしたような感じだろうか。
 著者いわく,反革命勢力に全てを知られぬようあえてわかりにくい書き方をしているのだそうで,確かにものすごくわかりにくい。「スペクタクル化」の正確な定義を求めた私が馬鹿であった。
 というわけで,内容の半分も理解できていないのだが,目からウロコが落ちるような部分もあった。ような気がする。

「スペクタクルの豊かさのなかでの偽の選択,つまり,排他的であると同時に相互に入り組んださまざまな役割[...]の羅列のように,互いに競合するとともに強く結びついたさまざまなスペクタクルの羅列のなかでの選択は,量的に少ないものに人々を熱狂的に執着させる目的で作られた幻想的な質と争いながら発展する。こうして,消費の序列における地位の低さを空想上の存在論的優越性に変形する務めを負った時代遅れの偽の対立や地域主義,人種主義が再生してくるのである。また,こうして,スポーツ競技から選挙に至るまで,亜流の遊びの利害を総動員した,延々と続く下らぬ衝突が再構成されるのである。豊かな消費のはじまったところでは,若者と大人の間のスペクタクル的な主要対立がさまざまな偽りの役割の前面に浮かび上がる。なぜなら,人生の師たる大人などというものはどこにも存在せず,既存のものの変革を意味する若さも,いま若い者の特性ではないからだ。若さとは,経済システムの特性であり,資本主義のダイナミズムなのである。支配するのはモノであり,若いのもモノである。モノこそが追い求められ,次々と自己を取り替えていくのである。(「スペクタクルの社会」62節)
スペクタクル的な対立の下に隠されているのは貧困の統一性である。[...] スペクタクルとは,不幸の揺るがぬ中心にあって悲嘆と不安に取り囲まれた幸福な統合のイメージにほかならない。(「スペクタクルの社会」63節)

哲学・思想(2011-) - 読了:「スペクタクルの社会」「スペクタクルの社会についての注解」

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