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2012年8月 2日 (木)

Erdem, T. & Swait, J. (1998) Brand equity as a signaling phenomenon. Journal of Consumer Psychology, 7(2), 131-157.
 現在のブランド論の主流であるところの認知心理学的観点ではなく、情報の経済学におけるシグナリング理論の観点からブランド・エクイティを捉えます、という論文。
 先日読んだレビュー論文で紹介されていて、興味を引かれて読んでみたのだが、これが面白くて、取り急ぎ読む必要はないのに読みふける羽目になった。

 著者らいわく、市場には情報の非対称性がある。たとえば、企業側が「うちの製品って実はいまいちなんだよねー」と知っていても、消費者側は必ずしもそれを知らない。この非対称性はマーケティングミクス戦略と相互作用する。たとえば、消費者にとって不確実性が高いカテゴリでは品質の保証が促進されるし、品質の保証は非対称性を縮小させる。
 ブランドは企業の過去・現在のマーケティング戦略を体現・象徴しており、それゆえに、情報の非対称性を縮小させるためのシグナルとして働く。たとえば、ブランドは製品空間における当該製品のポジションのシグナルとなる。ブランドというシグナルが消費者に伝える情報は、そのブランドのマーケティングミクス要素の特徴によって決まったり(例, 高価格→高品質)、過去・現在のコミュニケーション内容によって決まったりする。
 シグナルにはclarityという側面とcredibilityという側面がある。clarityとは、ブランドが伝える情報が曖昧でないことで、マーケティングミクス要素間の整合性や、メッセージの経時的な一貫性によって決まる。credibilityは、ブランドが伝える情報が本当らしくあてになるということで(その情報の中身は問わない。つまり、ブランドが信頼できるという意味ではない。「確実性」とでも訳すのがよさそうだ)、clarityと同じく整合性・一貫性によっても影響されるし、またclarityによっても影響される。さらに、ブランド・ロゴやらスポンサーシップやらブランド広告やらに企業が投資している(と感じられる)と、その投資を回収するために企業は約束を守ろうとするだろう、また守られない約束のせいで自分の評判を傷つけるのは避けようとするだろうと感じられるから、credibilityは高くなる。
 さて、消費者は不完全な情報しか持たず、知覚リスクを抱えている。知覚リスクを低減するためには情報コストがかかる。ブランドというシグナルは、消費者の知覚リスクと情報コストの両方を低減させる。さらに知覚品質も向上させる。よって期待効用が向上する。このようにして上積みされた価値がブランド・エクイティだ。従って、ブランド・エクイティを決めるのは、ブランドというシグナルのclarityとcredibility、特にcredibilityである。

 ...この考え方のどこが新しいかというと、アーカー先生に代表されるブランド論のように、消費者の長期記憶に貯蔵された多面的なブランド知識から話を始めるのではなく、ブランドというシグナルの情報的な特性からスタートするという点である。そのせいで、いくつか新しい含意が生まれてくる:

 実証研究は... クロスセクショナルな調査を一発掛けて、SEMのモデルを構築する。ジュース5ブランド(ドール、ミニッツメイド、etc.)とジーンズ5ブランド(カルヴァンクライン、ギャップ、etc.) についての質問紙調査。学生を対象に、ブランドあたり92票ないし86票を集め、縦積みにして分析する(調査研究としては意外にしょぼい...)。
 調査項目は25項目(主に9件法)で、{知覚されたブランド投資、整合性、clarity, credibility, 知覚リスク、知覚品質、情報コストの節減、期待効用}の8つの潜在変数に割り当てられている(測定モデルとしても案外しょぼい...)。
 潜在変数間のパスは、上の理屈に従い、{整合性, 投資}→{clarity, credibility}→{知覚リスク, 情報コスト節減, 知覚品質}→期待効用、という感じの逐次モデル。ブランドはダミー変数にしていれている(ブランドごとに潜在変数の平均を推定しているということであろう)。係数のブランド間異質性は気にせんでええんかいなと思うが、SASのPROC CALISでやったというし、まあサンプルサイズがこんなんですし。
 推定結果は上記理屈のとおりで、期待効用にはcredibilityが強く影響する。カテゴリ別に推定すると、ジーンズではcredibilityは情報コストの節減を通って期待効用に効くが、ジュースでは知覚品質を通って期待効用に効く。飲めばすぐわかるので、情報コストがもともと低いからだろうとのこと。また、ジュースではブランド投資がcredibilityに効くがジーンズでは効かない。飲料ではばんばんブランド投資しているが、ジーンズではそうでもないんでしょう。云々。

 いやあ、この論文は面白かった。実証の部分はともかく、考え方が。知識不足のせいでナイーブな反応をしているのかもしれないけど、とにかく私にとっては大変に面白く、途中でちょっと鳥肌が立ったほどである。
 ブランドの研究者の方が書いたものを読んでここまで面白いと思ったのは、書籍を含めれば石井淳蔵という先生の本を読んで以来、論文に限ればこれがはじめてだ。ブランドの研究というのは、アーカーとかケラーというようなビッグ・ネームが経験的知識を美しく体系化し、他の研究者はみなそれを現場にあてはめて一生を終えるのかと思っていた(そういう知的営みにももちろん価値があると思う)。私が悪うございました。イノベーティブな視点、オリジナルな理論展開というのがありうる分野なんですね。感動。

 特に感銘を受けた理由がふたつある。ひとつには、以前「アメリカのプライベート・ブランドのブランド・エクイティが低いのは、消費者に品質が低そうだと思われているからではなく、品質が髙いか低いかよくわからないと思われているからだ」という実証研究を読んだことがあり(あ、同じ著者だ!!)、それって腑に落ちる説明ではあるけど、(よくそのへんの本に書いてあるように)ブランド・エクイティが消費者の知識そのものなのだとしたら、あるブランドについてよく知らないことがエクイティの低さにつながるという理屈はなんだか変だなあ、と思ったことがあったからである。なるほど、シグナリングという考え方に立てば筋が通る。
 もうひとつには、週に一度くらい、ブランドは私たちを幸せにするのだろうか、と考えるからである。マーケティングの基礎知識が社会人の常識となり(そうあるべきだと主張する人は少なくないですね)、ブランド構築という考え方が広まり、身の回りの商品やサービスがことごとく髙いブランド・エクイティを誇るものばかりになったとして、それは社会にとっては良いことだろうか? 直観的には、それって壮大な無駄遣いじゃないかと感じるのだが、そう思う理由がうまく整理できず、もやもやとしていた。この論文を読んで思うに、高等教育についての議論にはよくスペンスのシグナリング仮説というのが出てきて、この仮説に従えば、大学教育が個人の能力を全く高めなくても学歴は価値を持ち続けるし、その意味で、高等教育は社会的浪費になりかねない。そうだ、あの話と同じように考えればいいのだ。急に霧が晴れたような気分である。

 この論文では、主張のユニークさを示すために従来の"認知心理学的"ブランド観との違いを強調しているけれど、どちらにしても長期記憶におけるブランド関連知識がブランド・エクイティを支えているわけで、その意味ではどちらの立場も、ブランドという社会現象を心的メカニズムで基礎づけようとしているのだと思う。この論文の特徴は、ブランド知識がエクイティを生み出すプロセスについての説明にあるが、さらに、ブランディングが成立する条件や、ブランドの社会的インパクトについて情報経済学の概念を引き込めるところが面白いと思う。著者らも論文の最後に書いているように、従来のブランド観と対立する視点というより、相補的な視点だと考えたほうがよいのだろう。

論文:マーケティング - 読了:Erdem & Swait (1998) シグナリング現象としてのブランド・エクイティ

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