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2012年9月29日 (土)

福元圭太 (2009) 魂の計測に関する試論:グスターフ・テオドール・フェヒナーとその系譜(1). かいろす, 47, 33-48.
福元圭太 (2011) フェヒナーにおけるモデルネの「きしみ」 : グスターフ・テオドール・フェヒナーとその系譜(2). 言語文化論究, 28, 1-21.
福元圭太 (2012) 『ツェント・アヴェスター』における賦霊論と彼岸 : グスターフ・テオドール・フェヒナーとその系譜(3) 言語文化論究, 28, 121-134.

 勤務先での仕事の都合でたまたまFechnerの名前を目にする機会があり(一対比較データの分析方法について調べていたため)、このFechnerって、心理学の教科書に出てくるヴェーバー・フェヒナーの法則の、あのフェヒナーだよねえ...と、なんとなくぼんやり検索していて、日本語で書かれたフェヒナーの評伝(!)を見つけ、思わず読みふけってしまった。ここまで来ると、仕事とはもう何の関係もない。
 掲載誌は九大の紀要。著者は独文の先生で、ワタシ高校で数IIまでしかとってないんで数式のところはさっぱりわかんないです、などと注のなかでこっそりぼやきつつも、実験心理学の祖にして汎神論的な思想家でもあったフェヒナーの、いまでは誰も読もうとはしないであろう膨大で晦渋で冗長な著述を、延々と辿っていくのである。ご苦労様でございます。

 著者いわく、19世紀ドイツにおいては「『実証主義的自然科学』と『ロマン派の観念論的自然哲学』との間に葛藤が生じることとなったのだが、[...]これこそがフェヒナー個人の中で起こっていた葛藤に他ならない」「極端な言い方をすれば、両者の葛藤の擬人化こそがフェヒナーなのである」のだそうである。ふうん。
 33歳で物理学の正教授となったフェヒナーは、肉眼で太陽を見つめる実験のせいで目を傷めたのをきっかけに、「やがては顔を布で覆い、最後には顔全体にブリキの仮面をかぶるようになって極端に光を避け、黒く塗られた部屋に閉じこもって4年に近い月日を過ごすことに」なった。いや、それってもう眼の病気じゃないですよね。
 で、なぜか突然に回復したのちは神秘主義的な自然哲学にシフトし、なぜ植物に魂がないといえるのでしょうかとか、地球にも天にも魂があるんだとか、死後の魂は神の精神圏に入るんだとか、そういう感じの本を山ほど発表し、同時代の人々からうんざりされたり無視されたりする。現代の心理学科の学生はたいてい一年生の時に、感覚量そのものじゃなくて弁別閾を測るんだという精神物理学の基本概念を教わるけれど、あれをフェヒナーが最初に発表したのは、そうした忘れられた著作の片隅だったんだそうである。へえええ。

 論文3本を費やしつつも、伝記としてはいまだ完結に至っていない。続きをお待ちしております。

論文:その他 - 読了:福元 (2009,2011,2012) フェヒナー先生とその時代

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