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2014年5月28日 (水)
Carlson, B.D., Suter, T.A., Brown, T.J. (2008) Social versus psycholoical brand community: The role of psychological sense of brand community. Journal of Business Research. 61, 284-291.
先日唐突に訪れたベネディクト・アンダーソン「想像の共同体」の一大ブームのあおりで、「読みたい資料」の山に追加したもの。整理のためにぱらぱらめくっていて、気になってつい最後まで読んでしまった。
最近のブランド研究では、みなさんブランド・コミュニティに注目しておられますが(Muniz&O'Guinn(2001)が提唱した、ブランドを中心としたコミュニティとでも呼ぶべき現象のこと。企業が構築するブランド・ユーザ・コミュニティのことではない)、実際にメンバー間の相互作用があるコミュニティだけではなく、相互作用を伴わない、単なる想像されたコミュニティも大事なんですよ。という主旨の調査研究。
以下、実際に社会的相互作用を伴うタイプのブランド・コミュニティを社会的ブランド・コミュニテイ、単にメンバーがコミュニティの感覚を持っているというだけで実際には社会的相互作用は起きていないタイプのブランド・コミュニティを心理的ブランド・コミュニティと呼ぶ。
Muniz&O'Guinnはブランド・コミュニティの構成要素として、意識の共有、儀式の共有、道義的責任可能性の3点を挙げている。でも心理的ブランド・コミュニティにおいてはこの3つは必須でない。ここの説明、大事なのにさらっと書かれているので訳出しておくと、
たとえば、心理的ブランド・コミュニティのメンバーはそのブランドの他のユーザが存在することを知っているが、自分たちを内集団の一部として分類したり外集団と区別したりしているとは限らない。コミュニティの感覚の背後にある起動力(impetus)は、コミュナルな関係や意識の共有ではなく、ブランドである。さらに、共有された儀式と伝統はコミュニティの文化を維持し適切な振る舞いの規準を提供する助けになるだろうが、心理的コミュニティにおいては必須でない、なぜなら社会的相互作用は生じないかもしれないからである。最後に、道義的責任可能性の感覚は社会的ブランド・コミュニティにおいては見つかるだろうが、心理的ブランド・コミュニティとはあまり関連していない。それ[道義的責任可能性の感覚]が表しているのは「コミュニティ全体に対する、そして個々のメンバーに対する、義務・責務の感覚」(Muniz & O'Guinn, 2001, p.413)である。これらの責務の下にあるのは、ブランドの使用を助けることと共に、メンバーを統合し維持することであろう。[いっぽう]心理的ブランド・コミュニティは、本質的に、そのconstituents[メンバーのこと?]によって持続されるような実体ではない。
。。。うーむ。まあとにかく、著者らは、従来のブランド・コミュニティってのは社会的ブランド・コミュニティのこと、それに対して心理的ブランド・コミュニティはもっと広い概念だと考えているわけである。
で、著者らいわく、従来指摘されていたブランド・コミュニティのベネフィットは、心理的ブランド・コミュニティにおいても得られる。つまり、大事なのはブランド・コミュニティという心理的感覚 (PSBC)、すなわち「ある個人が他のブランド・ユーザと関係的な絆を知覚している程度」である。
というわけで、因果モデルを作ります。
PSBCを生みだすのは、ブランドそれ自体への自己同一化、そしてそのブランドのユーザ集団への自己同一化であろう。なお、自己同一化については認知的に捉え、自己スキーマと対象スキーマの重複の程度とみなす。というわけで、
H1. ブランドとの自己同一化はPSBCにポジティブな影響をもたらす。
H2. ブランドのユーザ集団との自己同一化はPSBCにポジティブな影響をもたらす。
リレーションシップ・マーケティングでは関与(commitment)が大事だといわれている。関与をもたらすのはきっとPSBCであろう。というわけで、
H3. PSCBはブランド関与にポジティブな影響をもたらす。
image congruence 仮説によれば(Grubb & Grathwol(1967)というのが挙げられている)、個人の消費行動は、象徴的意味をもたらす製品の消費を通じて自己概念を拡張させる。また、自己定義的欲求が満たされる時、消費者のブランドに対する自己同一化はしばしば消費者とブランドの強い関係をもたらす。とかなんとかというわけで、
H4. ブランドとの自己同一化はブランド関与にポジティブな影響をもたらす。
先行研究によれば、ブランド・コミュニティのメンバーは集団の規範と整合的な行動・意図を示す。たとえば当該のブランドを選好するし、イベントに参加するし、クチコミするし、ブランドの歴史を称える。というわけで、
H5. ブランド関与は、ブランド選好、ブランドのイベントへの参加意向、クチコミ、ブランドの歴史の称賛にポジティブな影響をもたらす。
社会的ブランド・コミュニティが存在するときは、そうでないときに比べ、ユーザ集団との自己同一化の影響がより大きくなるだろう。というわけで、
H6. H1の効果は社会的ブランドコミュニティが存在するときに小さくなる。
H7. H2の効果は社会的ブランドコミュニティが存在するときに大きくなる。
というわけで、出来上がったモデルは次のとおり。外生変数は、ブランドとの自己同一化と、集団との自己同一化。この二つがPSBCに効く(H1, H2)。効き方は社会的ブランドコミュニティによって異なる(H6, H7)。PSBCとブランドとの自己同一化がブランド関与に効く(H3, H4)。ブランド関与がブランド選好、イベント参加意向、クチコミ、ブランド史称賛に効く(H5)。多母集団の4層逐次モデルである。
実証。面倒になってきたので早送りで...
USのとあるテーマパークを対象とする(ディズニーランドかなあ...)。調査項目は、PSBCは7件リッカート尺度で6項目。ブランド同一化と集団同一化は各2項目、ブランド関与5項目、選好4項目、イベント参加以降1項目、クチコミ3項目、ブランド史称賛2項目、これらは先行研究から引っ張ってくる。
研究1. ユーザが勝手に作ったオンライン・グループから対象者をリクルートしてweb調査。結果: 適合度は良好。構造モデルのパス係数は、H1は有意でなかったがH2, H3, H4, H5で有意。なお、PSBCから4つの結果変数に直接パスを引くと適合度がもっと上がる。
研究2. このテーマパークの来場者をリクルートして郵送調査。結果: 適合度は良好。H1は有意、H2は有意でない。PSBCから結果変数に直接パスを引いても適合度は上がらない。
2つのデータを合わせて分析して、H6, H7を支持している。面倒なのでパス。
考察。PSBCはブランド関与を高め、ブランドとの関係を促進する。PSBCを高めるためには、社会的ブランド・コミュニティがあるときにはそのコミュニティに関連したマーケティング・アクションが有効だし、ないときにはブランドイメージの操作が有効だ。云々、云々。
うーむ。。。私がなにか誤解しているのかもしれないけど。。。感想が2点。
まず、コミュニティという概念について。
コミュニティという概念に関する著者らの論点は2つある。(1)ブランド・コミュニティはメンバー間の相互作用を含むとは限らない。(2)Muniz& O'Guinnが挙げた3要件はブランド・コミュニティの必須要件ではない。
ちょっと混乱があるのではないかという気がする。Muniz&O'Guinn(2001)がいっていたのは、「現代社会においてはブランドの周りに、コミュニティと呼び得るようなナニカが生じていますね」ということだったのではないか。彼らが挙げた3つの要件とは、そもそも私たちがある現象をコミュニティと呼び得るのはどんなときか? という一般的要件で、彼らの主張は「ほらブランドの周りにあるナニカはこの3つの要件を満たしていますよ、だから(伝統的な意味でのコミュニティらしくはないけれど)コミュニティと呼んでいいのではないですか?」というロジックに沿っていたと思う。
このロジックに従えば、実際の社会的相互作用があろうがなかろうが、コミュニティ感覚が存在していようがいまいが、この3つの要件を満たしていないナニカはコミュニティではない。従って、著者らの考える「心理的ブランド・コミュニティ」は、Muniz&O'Guinnが考えるところのコミュニティでないことになると思う。その理由は、実際の社会的相互作用を伴っていないからではなくて、3つの要件のうちいくつかを満たしていないからである。
つまり、著者らがいうところの「コミュニティ」はMuniz&O'Guinnのいう「コミュニティ」よりも広い概念である。結構。では著者らのいう「コミュニティ」とはなにか。著者らいわく、社会的アイデンティティ理論によれば、社会的相互作用がなくてもコミュニティ感覚は存在しうる(そりゃまあそうだろう)。で、著者らはこのコミュニティ感覚(PSBC)をもって「心理的ブランド・コミュニティ」を特徴づけている。ううむ。いまブランド・コミュニティ研究のいきさつを抜きにして、いきなり「コミュニティの感覚を持っている人たちのことをコミュニティと呼びます」と宣言したら、(アンダーソンを含めて)たいていの社会科学者は、そのあまりに広範囲な定義に呆れちゃうんじゃないだろうか。
まあこれは「なにをコミュニティと呼ぶべきか」という論点、社会科学において長い伝統を持つコミュニティという概念を心理主義的に再定義しちゃっていいのかという話であって、それはそれでとても大事だけど、ちょっと横に置いておくこともできるだろう。よし、横に置くぞ。
2点目。ふらっと一本論文を通読しただけで、プロの研究者の方に対して大変失礼な言い方だと思うけれど、これ、「横断調査を一発やってSEMでモデリングしました」的研究の典型だと思う。
まず、ある心理学的なダイナミクスを想定する。そこから、心的構成概念間のスタティックな関連性についての統計的仮説を生成する。それぞれの構成概念を複数の調査項目で測定する。潜在変数モデルをつくり、潜在変数間に仮説に従ってパスを引き、パス係数やモデルの適合度で仮説を支持してみせる。
その限りにおいては美しい。でも問題は、仮説を支持することが理論を支持する証拠になっているのか、という点だ。
第一に、全然別のダイナミクスから、ほぼ同一の統計的仮説を演繹することができるかもしれない。たとえばこの論文とちがって、「ブランドへの選好がブランド関与の基盤となる」というダイナミクスを考えたとしても、ほぼ同じパス図が得られる。矢印は一か所逆向きになるけど、データに基づき矢印の向きを検証するのは困難だ。
第二に、そもそも構成概念自体が理論に基づいている。たとえばこの論文では「PSCBがブランド関与に影響する」というダイナミクスを考えているわけだけど、想像するに、「ブランド関与」なる構成概念を用いたこれまでの研究を調べれば、その測定項目のなかにPSBCに相当する項目(ブランド・ユーザのコミュニティという感覚について問う項目)を含めている研究が、きっと見つかるだろう。ブランド関与とPSBCは異なる構成概念か? この理論に言わせれば異なる、でもほかの理論に言わせれば同じことかもしれない。それは測定モデルの比較を通じて決着をつけるべき問題だ、なんていうのはあまりにデータ分析寄りな見方であって、実のところ、潜在変数の弁別的妥当性なんて言うのは項目選択しだいでどうにでもなっちゃうのである。
もちろん、SEMで理論的主張が検証できないというわけではない。たとえば、ある包括的な理論的枠組みの下で構成概念の測定モデルが構築できます、さて構成概念間の因果関係の特定の部分について対立する2つの下位理論がある、そこでそれぞれの下位理論に沿ってモデルを構築し、パス係数やモデル比較で決着をつけましょう、というような使い方もあるし、そういうのならば納得しやすい。
しかし、この研究のように、ある理論的主張を行います、そこから仮説を引き出します、仮説をモデルで表します、うまくいきました、よかった... というタイプのモデルは、よほど精緻に積み上げないと、理論的主張を支持する証拠にはならないように思う。
世の中には「SEMってのを使うと好き勝手なことが云える、実に恣意的だ」と毛嫌いする人がいるようだが、それはあまりに短絡的だと思う。統計モデルが恣意的だと感じられるのは、統計モデルを根拠づける理論に説得力がないからであって、モデルのタイプ自体に罪はない。
でも、プロの研究者の方によるこういう研究をみると... いえいえ価値がないとは申しません、一連の研究の流れのなかでそれぞれに価値があったりなかったりするのだと思いますが... ちょっぴり、SEMかあ、ナンダカナア、と思ってしまう。
論文:マーケティング - 読了: Carlson, Suter, Brown (2008) 大事なのは社会的ブランド・コミュニティじゃない、心理的なブランド・コミュニティ感覚だ