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2015年1月 1日 (木)
仕事の都合でShapiro (2011)をコリコリと読んでいるんだけど、身体化認知(embodied cognition)という概念を持ち出した過去の論者に対する月旦評が面白かったので、ここだけ先にメモしておく(3章)。
まず Varela, Thompson & Rosch (1991)。たしか私が学部生のときに翻訳が出て、数ページでわけわかんなくなって放り出した本だ。
- embodied cognition概念の始祖。その主張のなかには受け入れられているのもあれば無視されているのもある。[←ははは。仏教を持ち出すくだりとかね]。
- いわく: 認知は身体が環境と相互作用する知覚-行為ループに由来する経験に基づいている。人々の感覚運動能力は、人々が共有している生物学的・心理学的・文化的文脈にembodiedである。
- いわく: 世界はpregivenではない。embodied actionの探究のためには、知覚者が彼の局所的な状況のなかで自分の行為をどうガイドしていくかを調べること、すなわちenactiveアプローチが必要だ。(←embodimentの定義からみて話が飛躍している)
- 彼らのembodiment概念は正確さを欠いている。主張にはいろいろと飛躍がある。
Esther Thelen。認知発達の研究者(恥ずかしながら存じませんでした)。主に Thelen, Schoner, Scheier & Smith (2001, BBS) に拠って論じている。
- 動的システム理論を認知現象に適用したパイオニア
- いわく: 認知がembodiedであるというのは、認知が世界との身体的相互作用から生じているということを意味している。
- いわく: embodied cognitionは精神をシンボル操作機械とみなす認知主義的立場と対立する。(←embodimentの定義からみて話が飛躍している)
- 彼女はembodimentという言葉でその定義以上のことを言おうとしている。この背景には、乳児の固執行動への関心があってだな... [A-not-B課題の研究小史とThelenの説明。略] ... このように、彼女の見方では、知覚運動能力「に加えて」認知プログラム・表象・概念があるのだ、という考え方が間違っていることになる。認知は身体と知覚と世界がお互いのステップをガイドするようなダイナミックなダンスから生じるのだ。
Andy Clark。有名な哲学者っすね。翻訳も出ている。
- 彼はembodied cognitionの研究の6つの特徴を挙げている。
- (1)Nontrivial Causal Spread. たとえばスリンキー[=階段を降りるバネのおもちゃ]のように、外的要因をうまく利用して仕事する。
- (2)Principle of Ecological Assembly. 問題解決は、生体がそのとき周囲の環境のなかに持っている資源の関数である。
- (3)Open Channel Perception. たとえば移動に際して、目的地がthe point of zero optical flowであることだけ確認し続ければよい、というような話。
- (4)Information Self-structuring. たとえば運動視差で奥行きをつかむとか。
- (5)Perception as Sensorimotor Experience. たとえば立方体の周囲を移動すると、さっき見えていた辺が見えなくなる。このようにして、知覚経験によって運動と感覚の依存性についての期待が獲得される。いいかえれば、行為が知覚経験を構成する。
- (6)Dynamic-Computational Complementarity. 表象とか計算といった伝統的概念にも役割がある(←この点はThelenと異なる)。
- 疑問点。
- Clarkは主に知覚に関心を持っている。より概念的な認知課題もやはり身体に依存していると主張するのだろうか?
- 身体が認知過程に貢献しているのではなく認知過程を構成しているのだ、と考える根拠は何か。
- 標準的な認知科学とどこが決定的に違う(or 違わない)のか。
雑記:心理 - 「身体化認知」という概念はどう捉えられてきたか