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2017年8月18日 (金)
Zallar, J., & Feldman, S. (1992) A simple theory of the survey response: Answering questions versus revealing preferences. American J. Political Science, 36(3), 579-616.
原稿の準備で読んだ論文。経緯は忘れたが「必ず読むこと」論文の山に積んであった。政治学の論文だけど、それにしてもずいぶん魅力的な題名である。Google Scholar的には引用回数1500超、結構なメジャー論文だ。
いわく。
市民は政治問題についてなんらかの態度を形成している。質問紙調査はそれらの態度の受動的な測定である。という標準的な見方を乗り越え、新しい見方を提供しましょう。すなわち、市民は態度なんて持ってない。頭のなかにあるのはいろんなideaやconsiderationであり、それらは部分的に整合していたり、不整合だったりする。調査参加者は回答に際してそれらをサンプリングし(ここに最近の出来事や調査票の影響が加わる)、どう答えるかをその場で決める。つまり、回答は真の態度なんて反映していない。
先行研究概観。
- 回答の不安定性(response instability)。質問紙調査の回答には高い不安定性があることが知られている[ここでいうinstabilityとは再検査信頼性のことみたいだ]。有名なのはConverse(1964)のデータで、彼はこの不安定性をもって「真の態度なんて存在しない」と考えた。これに対して「真の態度」概念を維持し、不安定性は測定誤差のせいだと考えたのが、Achen, Dean & Moran, Erikson [Robert. 政治学者], Feldmanら。
どちらの立場にも欠点がある。まずConverse側の<不安定性は「真の態度」が存在しないことの証拠だ>というのはさすがに極端な主張だ。Converse & Markus(1979)は「態度というのは大なり小なり『結晶化』しているものだ」と論じたが、結晶化の程度を測る方法がない以上、検証可能性がない(と、Krosnick & Schuman(1988 JPSP)が論じている)。いっぽう測定誤差の理論は、測定誤差がどうやって生まれているのかを説明していない。 - 回答効果(response effects)。山ほど研究があるが、
- Bishop et al. (1984 POQ): あいまいな事柄について聴取された直後には、政治に関心がありますと答えにくくなる
- Tourangeau & Rasinski(1988 Psych.Bull.), Tourangeau et al.(1989 POQ): 中絶への態度が直前の項目(たとえば宗教、女性の権利)によって変わる
- Schuman & Scott (1987 Science): 強制選択と自由記述で答えが違う [←ちょっと待って... これ未チェックじゃないかしらん... ひぇー...]
- Krosnick & Schuman(1988 JPSP), Bishop (1990 POQ): 調査票のささいな違いが回答に影響する。無態度な対象者に限った話ではない。
しかるに世論調査研究者ときたら、これらの研究を無視し、伝統的見解をつぎはぎして乗り切ろうとしておる。時系列調査では調査の設問順を変えないようにしましょうとか、項目順をランダマイズしましょうとか。測定誤差を統計的に取り除きましょうとか。[←ははは]
調査対象者は本当はどうやって回答しているのか? 2系統の研究がある。
- Hockschildのデプス・インタビュー(1981, "What's Fair")[←なにこれ、面白そう。残念ながら邦訳はない模様]。人はある事柄について複数の、往々にして対立する意見というかconsiderationを持っている。これは記憶研究者の主張とも合致している。Raaijmakers & Shiffren (1981 Psych.Rev.), Wyer & Hartwick (1984 JPSP)をみよ。
- 社会的認知研究におけるスキーマ概念。Tesser(1978)をみよ。[←やたらに懐かしい名前が...]
では、さまざまなconsiderationsはどのように回答へと変換されるか。
- Taylor & Fisk (1978) にいわせれば、もっとも顕著なconsiderationが回答に変換される。Tversky & Kahneman のいうフレーミングもこの路線。
- さまざまなconsiderationsの平均が回答に変換されるという見方もある。政治学ならCampbell et al (1960), Kelly(1983), 心理なら Anderson (1974)。
まとめよう。(以下でわざわざconsiderationという言葉を使っているのは、政治についての日常言語に近いから、そしてスキーマと違って心的構造・処理への含意がないから)
- 公理1. アンビバレンス公理. 多くの人々は多くの事柄について対立するconsiderationsを持っている。
- 公理2. 反応公理。人は調査の設問に答える際、その瞬間に顕著性が高かったconsiderationを平均して答える。 顕著性はアクセス容易性で決まる。
- 公理3. アクセス容易性公理。アクセス容易性は確率的なサンプリング過程に依存する。
ここからは実証研究。
National Election Studies(NES)というのがあって、1987年にそのパイロット・スタディーとして電話調査をやった。2ウエーブ、計約800人。[これは延べ人数で、どうやら2回答えた人もいるらしい]
NESの設問(3問、強制選択)と自由記述の組み合わせ。対象者を2条件にランダムに割り当てる。形式A(回顧プローブ)では、NESの設問に回答してもらったのち(強制選択)、いま答えた時に思い浮かんだことを教えてください、とオープンエンドで聴取。形式B(stop-and-thinkプローブ)では、NESの設問を読み上げ、いま思い浮かんだことを訊き、設問文を再度読み上げて回答してもらう。自由記述はコーディングする。
結果。
- 多くの自由回答が、対立するコメントを含んでいた。アンビバレンス公理を支持。
- 政治に関心がある人のほうが、コメントの数が多かった。
- その問題に関心がありそうな人のほうが、コメントの数が多かった。
- 項目そのものへの賛否とコメントにおける賛否との間には相関があった。
- 2回答えた人の回答の不安定性はコメントのちがいによって説明できた [...というような話かな? ちゃんと読んでいない]
- [... とかなんとか、実に17個の理論的予測を検証する。めんどくさいのでパス]
考察。
今後の研究課題:
- 態度報告のミクロ的基盤。たとえば、ある人のconsiderationが整合的になっていくプロセス。
- コミュニケーション・説得研究への適用。我々の枠組みでは、態度変容とは真の態度のシフトというより、considerationの混合体における調整のプロセスである。
- 世論と政策決定過程の関係に対する適用。
最後に、このモデルの規範的な含意について。かつてConverseは「あのな、大衆に態度なんかあらしまへんで」と述べ、Achenは「そんなことゆうたら民主主義理論はなりたちませんがな」と反論した[←意訳]。我々の理論はこの中間に位置し、調査結果の解釈を拡張する。調査結果とは人々のconsiderationのバランスを示すものなのだ。云々、云々。
... 正直言って、実証研究のところからつまんなくなってほとんど読み飛ばしちゃったんだけど、序盤の理論提示のところがとても面白かった。この種の話のもっと新しい議論にキャッチアップしたいのだが、うーん、どうすればいいのかしらん。
この論文を机の横に積んでいた経緯はいまいち思い出せないんだけど、たぶんSnidermanを引用している論文を片っ端から探しているときにみつけたのだと思う。えーと、最後の考察の「研究者たちは多くの場合、態度という言葉を、多かれ少なかれ結晶化したもの、多かれ少なかれイデオロギー的なもの、ないし人や問題を通じた異質性のあるものを指して用いてきた」というところで、Sniderman, Brody, & Tetlock (1991, 書籍)が引用されている。どういう文脈での引用なのかいまいちわからん。
論文:調査方法論 - 読了:Zallar & Feldman (1992) 調査は「真の態度」の測定ではない、むしろアイデアのサンプリングだ