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2018年9月18日 (火)
近藤博之 (2014) ハビトゥス概念を用いた因果の探求. 理論と方法, 29(1), 1-15.
たまたま見つけて、タイトルがかっこいいので保存してたやつ。整理の都合上目を通した。えーっと、数理社会学会の会長講演だそうです。全くの門外漢なので、ちゃんと読めてないと思うんだけど...
教育と階層の関連についての研究は、大きく教育達成研究(従属変数は最終学歴や進学確率)と学業成績研究(従属変数は成績)に分かれるが、どちらの系列も「現代社会は完全な機会平等やメリトクラシーにどこまで近づいたか」という関心に基づいており、どちらにおいても答えは「意外にそうでもない」であった。
いっぽうブルデューさんたちは、大事なのは構造であって、要因の効果なんてえものは切り出しようがねえんだよ、と主張する。これを「構造的因果性」という。
これと似た考え方に、医療社会学でいう「根本的原因」というのがあって、知識が増えてもリスク統制能力が向上しても、結局健康はSESと関連したままだということが問題になっている。ある要因の効果は多数の要因群の集積であり、時と場所を超えてそれを安定させているメタメカニズムがあるのだ、と考えている人もいる。ブルデューが示したのは、ハビトゥスをこのメタメカニズムとして捉えるアプローチであったといえる。[←へー]
[「ディスタンクシオン」での分析方法の説明がひとしきりあって...]
しかし教育と階層についての量的研究の世界では、ハビトゥスについてはほとんど無視されている。主流はBreen & Goldthrope (1997 Rationality&Society)のモデル。彼らにいわせると、階級分化による説明は一時点の階層差は説明できるけど、教育改革とかが展開してるのに階層差がなぜ安定しているかを説明できない。
でもこの評価はフェアじゃない。[...]たとえば、労働者階級は所得が不安定なので明確な時間展望を持ちにくく、近視眼的な選択に陥りやすいという見方がある。Goldthropeらにいわせればこういう説明は残差を事後的に解釈しているだけである[←よくわかんないけど、きっと合理的選択を仮定したモデルなんだろうな]。でも実際問題として過去経験って選択を左右するじゃないですか。結局これは、ミクロ行為理論として合理的選択をとるかハビトゥスによる選択をとるかのちがいなのだ。つまりサイモンいうところの「経済合理性」と「経営合理性」のちがいなのだ。[←おおお、意外なところにサイモンが。勉強しよう]
[...] というわけで、ブルデュー理論は計量研究と十分に対話できるのだよ。云々。
最後のところに出てきたんだけど、サンクコストの心理学的研究で、合理的選択という思考それ自体における社会的条件付けの影響を示した研究というのがあるのだそうだ。Arkes & Ayton (1999, Psych.Bull.)。面白そう。
論文:教育 - 読了:近藤(2014) 教育と階層についての因果的探求にハビトゥス概念が役に立つ